古墳見て歩き

久しぶりにソムリエの古墳好きの仲間を誘って出かけることにした。
以前から気になっていた古墳でソムリエ検定公式テキストブックに紹介されている花山塚古墳を訪れることとした。ついでに桜井市に点在する少しマニアックな古墳で横穴式石室をもち石室内に入ることが出来るものも予定に入れた。
 訪れたのはムネサカ古墳、花山塚古墳、越塚古墳、舞谷古墳、秋殿古墳の5か所に古墳ではないが駒帰廃寺跡を加えた。これらのうち花山塚古墳以外は検定公式テキストには載せられていない。
 1月27日、全国的に大陸の寒気に覆われ北陸、北日本は大雪で奈良も最低気温マイナス3度と報じられていたが、幸いに天候は晴れでさほど寒くはない。古墳見学は夏場は藪や蚊に悩まされるため真冬に限るということで決行した。
 しかし桜井はまだしも宇陀にも足を延ばすのだが路面状態は分からない。迷ったがタイヤはスタッドレスに入れ替えで安全を期した。10時に近鉄八木駅に集合して出発。最初に訪れたのはムネサカ古墳。166号線を東に進むが国道沿いに駐車するところが無かったので建設業者の敷地に駐車させてもらう。
 案内板など全くなく、ぬかるんだ急斜面を10分ほど登る。古墳に通じる道は無く初めて来た者には到底わからないが幸い経験者に教えられ墳丘の前に着く。いきなり巨大な羨道と玄室の大きさに圧倒される。10mあまりの羨道の奥にある玄室は8畳ほどもあり天井も高い。奥壁・側壁ともに巨大石の2段積である。石材の構成に緻密さでは少し劣るが明日香村の岩屋山古墳とほぼ同一だ。

 次いで今日のメイン花山塚古墳である。これも166号線の女寄峠の少し手前の北側斜面にある。荒れた林道わきに駐車して林道を少し歩く。何十年も前に建てられた錆だらけの案内板はあるが全く字は読めない。やはり経験者の案内がなければ難しいところだ。
 急斜面を10分ほど登ったところに先ず花山塚東古墳がある。いよいよ磚積古墳の登場である。東古墳は石室の前面が破壊されているようだが、石室の側壁や奥壁は榛原石をレンガ状に加工した磚で積み上げた磚積石室が良く残っている。
 規模はさほど大きくは無い。奥行2.5mほど幅1.5mほどで一見立方体のような形状を示す。初めて見る磚積石室、今で言うコンクリートブロックで作られたような緻密な石室に驚くと共になぜそのようなものがこの地域に造られたのか興味は尽きない。磚積石室をもった古墳はこの忍坂や鳥見山地域にはいくつか点在しているという。

 次に花山塚西古墳である。東古墳から50mほど西にある。古墳の前に大きな石柱が立つ。「史跡花屋塚古墳」と昭和の初めに建てられたもので、この古墳は国の史跡に指定されている。斜面に築かれた円墳で石室は南に開口している。この古墳は入口全体に四角い籠のような鉄柵が置かれ容易に中には入られない。格子の外から中を伺うが羨道の奥は分からない。

 しかし鉄柵の上部に扉があり籠の上に上るとそこから中に入れた。磚積の石室は完全に残されていて、その石室の奥にさらに石郭がある。天井は両壁から持ち送りがありドーム状を示す。石室は畳3畳ほど、石郭は1畳ほどで全体の緻密さと言い遺存状態と言い素晴らしいの一言につきる。

 次に訪れたのは、越塚古墳 6世紀末ごろの古墳だ。ここは166号線を南に入って東の下り尾集落の東端にある。これも、大きな円墳に造られた横穴式石室をもつ古墳で南西方向に開口している。横幅の広い羨道の奥に広さ8畳あまり高さ4mはある玄室がある。今日見る石室では最大である。奥壁、側壁とも3段の巨石で積まれている。明日香の石舞台古墳石室にも匹敵するくらいである。

 秋殿南古墳と舞谷古墳は鳥見山の南斜面にあり舞谷古墳は群集墳である。秋殿南古墳もかなり大きな石室をもち側壁は大型の石材を2段積にしている。石室の特徴から7世紀前半頃の築造という。

 また、舞谷古墳群の内2号墳を見た。この古墳も磚積の石室をもつ。やや小ぶりの石室ではあるが、榛原石を加工した磚もよく残り特に側壁からの天井にかけての持ち送りの技術が細やかでドーム状を呈している。7世紀中頃の築造のようだ。同じ鳥見山の南斜面にあって築造時期も似通っているが、古墳の形態が異なるのは全く別の部族などによって造られたからだろうか。
 今回桜井市の栗原谷を挟んだ地域さらには鳥見山に点在する古墳の一部を見学した。古墳から受ける印象や古墳への想いはそれぞれ異なるかもしれないが、皆が共通に感じたことは古墳という文化財がこのままで良いのかということであった。
 即ちこれらの古墳はこれと言った保存もされず放置され、また説明板や案内板も皆無である。この周辺にはまだまだ多くの古墳があると聞いているが、樹木も生茂りその根により崩れかけている石室もあった。大げさなようだがアンコール遺跡の石造物が樹木の根によって浸食されている姿が思い出された。今のうちに何か手立てはないのだろうか。私たちの手で何か役に立ちたいという会話も聞かれた。

奈良まほろばソムリエの会 小北博孝