記紀万葉サークル10月例会

10月13日(日) 参加者23名

記紀万葉サークルの10月の例会は、8月の例会で小野さんが説明した「纏向遺跡」と私がお話した能『三輪』のゆかりの地を訪ねる「山辺の道」のコースでした。
まずは、「海石榴市跡」から「金屋の石仏」、「崇神天皇磯城瑞籬宮伝承地」を廻りました。今回のコースは、多くの万葉歌碑を巡るコースでもあり、田中リーダーから歌碑や古代の「海石榴市」は大和川(初瀬川)の対岸にあったという説明を聞きました。

金屋の石仏

「大神神社」では、『三輪』ゆかりの「衣掛杉」や「しるしの杉」、「巳の神杉」などの ご神木をご案内し、「狭井神社」へ。皆さん、境内のご神水・薬井戸の水をいただいておられました。
大美和の杜の休憩所で昼食を取った後、「檜原神社」へと向いました。途中、ここも能『三輪』ゆかりの地である「玄賓庵」に立ち寄り、かつては檜原谷にあったのが、明治時代の神仏分離により現在の地に移されたというお話や玄賓僧都についてのお話をさせていただきました。「檜原神社」からは一路西へ下って行きます。
ここからの説明は小野さんです。最初の古墳は「盾持ち人埴輪」の出土で有名な「茅原大墓古墳」。前方部が北を向いているのは珍しいそうです。「慶運寺裏古墳」では、本堂のすぐ裏に石室の入り口があるのにびっくり!実際に中に入って、石室の大きさを体感しました。

慶運寺境内の石棺材
ホケノ山古墳後円部上にて

上ツ道にひっそりとたたずむ、『古事記』ゆかりの「環緒塚」を見た後、「箸墓古墳」へ。半周して、その大きさを実感。横の大池にたくさんの金魚が養殖されているのにも驚きました。続いて訪れた纏向古墳群は、埴輪や葺石が見られないことから、弥生時代末期の墳丘墓と見るか古墳時代初期の古墳と見るのか、位置づけが難しいとの説明を聞きました。今日のメインの一つである「纏向遺跡」の中心、JR巻向駅前の大型建物跡が出土した場所は、今はすっかり埋め戻され空き地となっています。桜井市により立てられた遺跡の説明板により、発掘の様子などをうかがい知ることができるだけでした。説明を聞きながら、それぞれに、当時の建物の様子を思い描いたことでしょう。

箸墓にて・・・この日の参加メンバー

途中、大美和の杜展望台と、井寺池からは、奈良盆地の美しい風景と三輪山の美しさを堪能しました。
1つのコースの中で、歴史の舞台と文学・芸術の舞台という異なったものを楽しめる、奈良の奥深さを感じることのできた1日だったと思います。

文:交流グループ記紀万葉サークル 沢田れんげ  写真:同 田中昌弘