記紀万葉サークル3月例会「平群谷を歩く」

2014年3月8日 参加者26名

参加者26名と、記紀万葉の会以外の多数のメンバーの参加もあり大変賑やかなイベントとなった。平群中央公園での食事時は少し寒かったが、天候にも恵まれ楽しい一日となった。案内されたコースも平群谷を網羅していて、今まで馴染みの薄いところであったが、伊藤さんの明快な案内で平群が大分理解出来たような気がする。
とりわけ面白かったのは古墳巡りで、平群谷の古墳時代後期・終末期の前方後円墳、円墳、方墳とバラエティーに富んだものを廻れた事である。実際に烏土塚古墳・柿塚古墳・西宮古墳の中に入って、それぞれの古墳の特徴を実感出来たのが良かった。中でも柿塚古墳の土砂に埋まった羨道を腹這って滑り込んで、懐中電灯に仄かに照らされた薄暗い玄室に立って、ドーム状の天井を見上げた時の格別な感動は忘れ得ぬものとなった。又、西宮古墳の一枚石の巨石で構成された、切石を用いた玄室は息をのむ美しさであり、その精美さは現代の建造物と見紛う程であるが、その重量感は現代の建造物を遥かに凌駕するもので、天井の一枚石には圧倒された。外に出て丸石が敷き詰められた三段造成の方墳を想像すると、まさに日本版小型ピラミッドと言われるのも頷ける。

西宮古墳の石室と石棺

石床神社旧社地の巨岩は古代の磐座信仰を彷彿とさせる。今日は岩に圧倒される一日となった。消渇神社の12個の土の団子の奉納は微笑ましかった。
三里古墳・紀氏神社に見る平群氏と紀氏との関わりも複雑である(吉野にも紀氏の影響下で造成された岡峰古墳と槇ヶ峰古墳の二基の著名な石棚古墳が存するが石棚の位置が違う)。また、長屋王・吉備内親王墓については治定に問題がありそうである。

石床神社旧社地の巨石
三里古墳で

城薬師塚の「五劫思惟阿弥陀仏」のような髪型と説明を受けた薬師石仏は珍しい長髪の髪型も然ることながら、人間智を超えた「五劫」と云う言葉を聞いた時は思はず絶句した。意外に見落としがちな中世の山城に案内され、そこに築かれたL字型薬研掘という山城独特の堀が見学出来たことも楽しかった。最後に訪れた駅前で、吉野修験道の役の行者ゆかりの、元山上・千光寺への「女人山上道」碑が女性による建碑であると知らされ、感銘を受けた。
興味の尽きない有意義な野外学習会であった。主催の田中さん始め関係者、案内の伊藤さんに感謝します。

長屋王墓にて

(文)交流グループ「記紀万葉サークル」富田良一
(写真)同    「   同    」田中昌弘