記紀万葉サークル7月例会(発会2周年記念行事) 「吉備路をゆく(日帰りバスツアー)」

7/12(土)実施・・・参加者35名

 記紀万葉サークルの「吉備路バスツアー」のアンケートが出た時には、あまり乗り気はしなかった。過去に見ているし、団体バスツアーでは、「見ただけ」に終わってしまう・・・その後、折角の企画であるし、皆さんのお顔に接するのは楽しみ、企画が参加者不足で潰れてしまっては、サークル運営が寂しくなると決心して参加者に名乗りをあげた。
 現実には、これらは杞憂に終わってバスは満席、参加費は大幅減額!さらに梅雨時にツアーを組む異例の発想・奇手が奏功して、東上する台風は通過してしまうは、日除けが必要な好天!往きの宝塚トンネル周辺は想定範囲内の渋滞はあったが、帰路は順調、おかげで西梅田周辺の新設ビル群の夜景をたっぷり眺めた。
 当日の主役、大貢献・大功労者はガイドに立って頂いた岡山市在住の小川肇さん。岡山インターを出た所ですぐにバスに乗り込まれて、いきなり「都月坂」と大文字で印刷されたペーパーを掲げて都月坂峠、「都月坂型埴輪」の案内が始まった。バス車窓からこの峠が遠望できるのが、乗車すぐのこのポイントしかないからであった。あとは総てこの要領で、たいへん誠実な一点一画をゆるがせにしないご案内でありました。配布されたパンフレットは全24ページ、適当に資料からコピィして切り貼りしたものではない、丁寧に必要性、記事内容、レイアウトを慎重に選択された立派な作品。案内も遠来の仲間に疎漏があってはならないと思念されて、吉備路案内の経験に加えて、バス行程・時間、徒歩ルートに合わせての、案内ポイントの選択に現地・脳内シミュレーションを幾度も繰り返され、マイカーで往復されたことと思う。たいへんありがたいことでありました。
 さて現地見学の本題、吉備津彦神社の奥の本殿に連なる建築の威容はおいて、吉備津神社、前者と同じく吉備の中山の神体山を背にするのだが、入母屋二棟を連結した本殿に切妻拝殿が直結する巨大建築。華麗な装飾、深い軒と反り、多用される木組と異色の神社建築。出雲や伊勢のように瑞垣で遮られないで眺められる。加えて拝殿前から山腹の傾斜にそって回廊が良い。長谷寺のように直線ではなく、京都高台寺回廊のような月見台を持つ風流な観賞用回廊でもない、信仰そのものの作品と言いたい味わいがある。(回廊では厳島神社、平安神宮、東福寺通天橋も悪くない)

吉備津神社本殿

 最も見たかったのが「楯築弥生墳丘墓」、バスが新設団地に乗り込み、坂を上がり、下車して丘陵を登る。頂上部平坦地に忽然と給水塔が出現し、数mの盛り上がった円丘頂部に身長より高い立石が立ち上る。おまけにこの春には橿考研でレプリカが展示されていたご神体の「弧帯文石」本物が、保存施設の扉を開けて拝観できる。現地の信仰対象に無遠慮にシャッターを切って良いのかいな?と思わせるほど、おおらかな対応に感嘆!その直前には丁寧に拝礼・参拝されている方々がいたが・・・。近藤義郎教授の著述で図面は見てはいたが、墳頂からは、かなり下に二階建て住宅が見える。そう言えば出雲の四隅突出型墳丘墓も丘陵上ではあった。

楯築墳丘墓にて、前列左端が小川さん

 続いて全国第四位の規模を誇る「造山古墳」。宮内庁指定の陵墓ではないから聖域にはなっていない。東側には集落を抱えて周辺の自然に溶け込んだ美しい姿がある。山城になったり、開墾された歴史があるが巨大である。前記、近藤教授の言であるが、こうした古墳の葬送行事では、巨大古墳のどの斜面から後円部や前方部に上下する設計になっていたのだろうか。創建時より傾斜が緩やかになっているはずであるが、後円部から前方部に下りる時には慎重さが要求された。全長300mを越える巨大古墳の墳頂部に簡単に登れる古墳は他にどこがあるだろうか。たいへん貴重な経験であった。

造山古墳後円部より前方部を望む

 丘上で小川さんから古墳の歴史は当然として、遠望される秀吉の高松城水攻め、「鬼ノ城」等々の解説があった。前方部には、お社があって珍風景を見た。小社の拝殿が民家のように焼杉板で壁を覆い、小さな本殿まで繋がっていた。その拝殿前に刳抜式長持型石棺が無造作においてあるのは良いが、なぜか、お寺の梵鐘がある。
 見学におよそ5時間半、往復に7時間半、13時間所要の充実した見学行であった。耳学問や刺激も得た。さりながら、移動手段活用の見学ツアーでは、規模・距離・地形・地勢等々の体感的な吉備地域の知見は得られなかったのは仕方がない。やはり泊まり込んで歩かねばならない。地道に這いずり回るいつもの例会を楽しみとせざるを得ない。

吉備国分寺辺りの風景

文 伊藤和雄(記紀万葉サークル) 写真 田中昌弘(同)