記紀万葉サークル9月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」

9月10日(土)参加者19名

少し早い目に集合した人にはラッキーなハプニングがありました。橿原神宮前駅東口改札前集合となっていましたが、9時半頃には既に5,6人が集まっていました。この時、駅長さんと助役さんが、改札口から現れ、誰かを出迎える様子です。車から降りてきた人の中に若い女性が二人含まれていて、どこかで見た顔です。そうです、リオ五輪バドミントン女子Wで、金メタルを取った高橋さんと松友さんです。この日は橿原市主催で橿原神宮前駅から橿原神宮まで優勝パレードを行うことになっている日でした。彼女たちは我々の目の前を縫って改札口に向かったのです。思わず拍手をすると、にっこりと笑顔で返されました。思いがけないラッキーなハプニングに恵まれました。
7月9日に実施するはずであった記紀万葉サークルの7月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」が雨のため中止となり、この日、9月10日に再チャレンジされました。出発前に今回初参加の6人が紹介され、総数19名でスタートしました。

・軽寺跡
橿原市大軽町の軽寺跡をまず尋ねました。現法輪寺と北側の春日神社辺りが軽寺の跡と言われています。現地には橿原市教育会により「応神天皇軽島豊明宮跡」と書かれた碑が建っていた。
・久米寺
聖徳太子の弟、来目皇子が創建したと伝えられる説、聖武天皇の世に活躍した久米仙人が開いたという伝説、久米一族の氏寺であるといわれるなど、多くの由来を持つ寺である。
・益田池堤跡
平安時代、高さ8m、幅30m、長さ200mの堤防を築き、高取川を堰き止めて、巨大な灌漑用の池が建築されたのが益田池である。その規模は橿原ニュータウン全域に相当し、貯水量は160万トン程であったとされる。その堤の一部分が残っている。橿原市の遺跡に指定されてはいるが、頂に登る道も見分けがつかないほど、夏草がぼうぼうと生えていた。藪蚊に悩まされながら、ここで昼食をとる。
この堤の北側あたりの地名が、橿原市西池尻町である。池尻という地名から、そこまで益田池が広がっていたようだ。

益田池堤跡にて昼食

・鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)
食後の行動は築坂邑と記された標識を見ながら鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)を順に巡り、本日のメインの新沢千塚古墳群を目指す。

鳥屋町を歩くメンバー達

・新沢千塚古墳群
橿原市南部の貝吹山の北西山麓に存在する約600基からなる古墳群をさすが、一般的には北西端に密集する350基程の古墳群が知られている。今回は北西部の一部分を歩く。30°Cを超える炎天下を歩いたことで、皆疲れ気味である。
代表的な126号墳をまず尋ねる。説明版には出土品が掲示されていた。それによると、耳飾り、指輪、盆、ガラスの椀・皿などともに非常に珍しいものとして熨斗(のし)(火を使うアイロン)などがあった。これらの出土品はすべて東京の国立博物館に展示されている。

新沢千塚126号墳にて

この出土品から被葬者の集団は、渡来系氏族と有力視されていたが、他の古墳からは、甲冑、武器、武具、馬具などが出土しているので、強大な武力集団の古墳とも考えられる。また、それらが共存していたのかもしれない。
・橿原市博物館
暑さに疲れた体には、冷房の効いた建物に入れただけで、ほっとした。
学芸員が丁寧に橿原市付近の歴史を説明して下さったがあまり記憶にない。せっかく新沢千塚古墳群の真っただ中にある博物館だからもう少しこの古墳群に関連した展示があっても良いと思う。

126号墳出土品(複製)を見る

帰りは橿原神宮前駅までバスを利用して帰る。歩いた距離は今回が最短であたかもしれないが、暑さに疲れた。我が橿原市を訪ねていただき、有難うございました。

文:前防道徳(記紀万葉サークル) 写真:田中昌弘(同)