女性サークル(ソムリエンヌ)「源信の里を散策する」
2022年9月27日(火)
久しぶりのソムリエンヌのウォークイベントです。香芝に精通しておられる平越さんを先頭に、今年の新入会員4名を含む14名で、香芝市南部を散策しました。
この辺りは、平安時代に「往生要集」を撰述して、その後の法然や親鸞にも多大な影響を与え、浄土教の祖と称されている恵心僧都源信の生誕地とされ、この日、3ヶ所の源信生誕地の碑に出会いました。
まずは、五位堂駅から南へ徒歩約10分の所にある宝樹寺で、中村住職のお話を聞かせて頂きました。
今はお寺だとは気付かずに通り過ぎてしまいそうなコンクリート造りの外観ですが、実は「五位堂」の地名の由来にもなった大変な歴史のあるお寺だということが分かりました。
奈良時代に鑑真和上を招聘した普照国師の創建とされ、聖武天皇の請願により開山されたとのこと。また、古墳時代の有力豪族の大伴金村の末裔が、五位の官位を奪われて死去した際、その妻が邸宅をお堂に改修して、「五位殿」の号がつけられたそうです。
堂内には、香芝市指定文化財第1号となった、平安時代後期・定朝様の阿弥陀三尊像や、県内に2体しかないという見返り地蔵菩薩立像などが安置されています。
五位堂は江戸時代を中心に鋳物産業が栄え、奈良県内をはじめ日本全国の多くの寺院の梵鐘や灯篭を製作した記録が残っています。宝樹寺のすぐ隣にある十二社神社の鳥居も、天保10年の銘のある鋳鉄鳥居で、鋳鉄灯篭も4基保存されています。多くの鋳鉄作品が戦時中に供出されてしまったので、この神社に残る遺品は貴重な地域の資料となるそうです。
また、この後訪れる阿日寺にも、五位堂鋳物師(いもじ)藤原貞次の手による梵鐘が残されています。
十二社神社からは、西の二上山に向かって細い道を1列になって歩いて行きました。
葛下川から南に延びる初田川(源信の伝説の中では津川)にかかる橋のたもとに、そこから500mほど北にある狐井城山古墳から出土した、竜山石製の長持型石棺蓋石2基と石室天井石片1基が並べられ、阿弥陀様として祀られています。かつては、この古墳石室の石が、実際の橋として使われていたそうです。
狐井城山古墳を挟んで南と北に、杵築神社があります。こちらは南側の杵築神社で、古墳の石室の石を利用したと思われる記念碑が立っています。
ここで、山崎さんによる、狛犬についての楽しい特別講義がありました。古い時代の狛犬と新しい時代の物との見分け方や、初期はスフィンクスのような形だったことなど、大きな身振り手振りで分かりやすく教えていただきました。
恵心僧都源信の誕生寺として、またぽっくり寺として、香芝市ではいちばん知られているお寺が、阿日寺です。こちらでも、ご住職さんから、恵心僧都源信にまつわるお話や堂内に安置されている仏像の説明を聞かせて頂きました。
ご本尊は、源信が、安楽往生された母の身代わり仏として自ら刻んだと伝わる阿弥陀如来立像で、その隣には、重要文化財に指定されている、平安時代中期作の凛々しいお姿の大日如来坐像(元常盤寺)がおられます。
ちなみに、「阿日寺」という寺名は、阿弥陀如来の「阿」と大日如来の「日」を取ってつけられたそうです。
欄間に施された、二十五菩薩+地蔵菩薩の華麗な浮き彫りの彫刻(江戸時代)にも目を引き付けられます。
毎年7月10日の恵心忌には法要が行われ、この日のみ、寺宝の「地獄絵図」を見ることが出来るそうです。
阿日寺を後にして、香芝市で最大規模の前方後円墳である狐井城山古墳(全長約140m)を眺めながら15分ほど歩くと、もう一つの杵築神社(狐井)に到着です。ここでも、まず狛犬に目が行くこととなり、何やら歯を食いしばって前足をピンと突っ張っている姿に笑みがこぼれます。
この神社には、狐の親子がどんな日照りでも枯れることのない井戸を掘りあてたという「狐の井戸」があり、これが「狐井」という地名の由来になったそうです。
すぐ先に福応寺という、これまた源信ゆかりのお寺があります。こちらには、源信が自ら筆を執られたと伝説のある、板に描かれた来迎図(板仏)がご本尊として祀られているそうです。2001年に保存修復が行なわれ、毎年7月9日の板仏大法要の日だけ開扉されるとのことです。
たっぷり歩いてお腹が空いたところで、本日のメインイベントのランチ会です。五位堂駅まで徒歩約10分の「ココチキッチン」という古民家イタリアンレストランでのちょっと豪華なランチに舌鼓を打ちながら、半数以上が初対面となるメンバーと、「ご当地あるある」などのおしゃべりで、楽しい時を過ごしました。
当会の女性会員は、全体の4分の1とのこと。このようなウォークやイベントを介して、もっともっと親睦を重ねられることを願っています。
女性サークル(ソムリエンヌ) 文・写真 大谷 巳弥子