大安寺光仁会(癌封じ笹酒祭り)見学記
日本人の2人に1人はがんと診断されるそうですが、医学が未発達だった古代においては、神仏に祈るしかなかったでしょう。現代においても、早期発見すれば治癒の可能性が高いものの、恐ろしい病気である事に変わりありません。テレビではがん保険のCMを放映していますし、実際に加入している方も多いと思います。
一方で、昔からがん封じをうたう寺社が全国各地にあり、奈良県では大安寺がよく知られています。1月には「光仁会癌封じ笹酒祭り」が、6月には「竹供養癌封じ笹酒夏祭り」と年2回がん封じの笹酒祭りが行われています。
保存継承グループの祭礼見学で、「光仁会笹酒祭り」に参加してきました。この祭りは先帝光仁天皇の一周忌を桓武天皇が大安寺で営んだという『続日本記』の故事をもとに、毎年1月23日に行われています。健康長寿で知られる光仁天皇が若い頃に大安寺に詣で、竹にお酒を注いで召し上がったという話に由来しています。
祭礼当日は、近鉄奈良・JR奈良駅から大安寺への直通バスが運転されています。

大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝精舎を創建したことに始まると言われ、その後百済大寺、高市大寺、大官大寺と寺名と所在地が変わり、平城京に遷都して大安寺となりました。宝物殿で係員が創建当時の復元図の説明をされていましたが、現在の境内とは比較にならないくらい広く、東西に七重塔が建っており、その塔跡が現在も残っています。


この冬最強と言われる寒波が襲来し、日本海側では大雪のニュースが流れる中、10時に4名が南門前に集合しました。南門は興福寺旧一乗院の門を移築、復元したもので、旧南大門の基壇の上に建っています。

本堂ご本尊の十一面観音立像(重文、奈良時代)が、がん封じのご本尊とされています。がん封じの祈祷を受けるため、本堂前には行列ができていました。いかにがんが恐れられているかが分かります。

秘仏で普段は非公開の嘶堂(いななきどう)の馬頭観音立像(重文、奈良時代)が特別開扉されていました。堂内では銀行OBの方2名が、ボランティアガイドをされていました。一般に馬頭観音像は、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、ここの観音像には馬頭が有りません。馬頭観音の原初の姿と考えられています。

順路に沿って、いよいよ笹酒です。拝観受付で買った竹製の御猪口に、笹娘さんから笹酒を注いでいただきます。次々とお代わりされる参拝者も多く見られました(当方もそのひとりですが)。お代わりするほど、がん封じの効果が高いのかも知れません。念のため御猪口の容量を帰宅後測ってみたら約30㎖でした。居酒屋と比べると仏罰が当たりそうですが、5、6杯呑まないと元が取れそうにありません。

笹娘さんは近くのきもの専門学校や日本語学校の生徒さんたちです。ミャンマーやスリランカからの留学生もおられたようです。笹娘さんの後方では、男性スタッフが竹筒にいれた笹酒を、焚火でお燗をしていました。今日のような寒い日には、温かい笹酒が身に沁みます。


笹酒祭りは8時から16時までと長丁場なので、笹娘も交代で務めるようです。

境内のあちらこちらに小さなダルマが飾ってあるのが目につきます。このダルマは木で作られたおみくじの容器で、おみくじを引いた人が、残していかれるようです。

大安寺は東大寺、西大寺と並んで「南大寺」と呼ばれていたことがあり、現在の境内からは想像もつかないような大きなお寺でした。今でも境内を出て南に行くと、東西の塔跡が、北へ行くと僧房跡の礎石などが、当時を偲ばせています。
旧境内の北東部分には、5世紀後半に築造された前方後円墳の杉山古墳がありますが、この古墳は平城京造営時に破壊をまぬがれた数少ない古墳のひとつです。旧境内の隅にあったため、「隅山」がなまって「杉山」になったと考えられているようです。残念ながら当日は古墳公園の休園日(月・水・金曜)にあたり、園内に入ることはできませんでした。

大安寺は東大寺や奈良公園とは離れた場所にあるため、普段の参拝者はさほど多くないと思われますが、昨年の笹酒祭り参拝者は約1万人だったそうです。この日も境内には、柿の葉寿司などの店舗が立ち並び活況を呈していました。
普段はあまり訪れる機会の少ないお寺のひとつですが、6月の竹供養笹酒祭りにも参拝しようかと思った1日でした。
文)保存継承グループ 河添正雄、 写真)同 グループ 本井良明、横山真紀子、河添正雄

