まほろばソムリエと巡る大和路-山の辺の道コース

2012年10月5日(金)実施  快晴
 ガイド  奈良まほろばソムリエ友の会 富田、河井
 参加者  北川さん、麦林さん(お二人とも河井の高校の同窓生)
 ※麦林さんから以下のツアー体験記をいただきましたので掲載します

 9時30分 JR柳本駅に集合。孫の急病で参加者が1名減ってしまい、ガイドさん2名に対し参加者2名という、古の大王並みの贅沢な散策となった。
 上つ道を横切り、織田有楽斎、柳本陣屋の説明を受けて黒塚古墳と古墳展示館へ。古墳頂上から見渡す景色は一見の価値あり。但し絶景はこの後の行程にも多々あり。画文帯神獣鏡、三角縁神獣鏡の紀年銘鏡について各説の解説を聞く。展示館を出て、169号線沿いにあるコンビニで昼食をゲット。
 行燈山古墳(第10代崇神天皇陵)を遥拝し、多段式濠の水位差を実見。櫛山古墳の双方中円墳の形を眺めつつ渋谷向山古墳(第12代景行天皇陵)に向かう。夏草が茂る細道で蛇に遭遇。色と頭の形状と大きさからは蝮だろう。三輪山の近隣であり、この辺りでは蛇が出ても当たり前なのだ。臆病者の小生は以後、4人縦隊の最後尾を歩くことにする。
 古代史初心者にとって、古代は謎だらけ。古墳の向きがバラバラなのもその中の一つ。黒塚、行燈山、櫛山、渋谷向山の各古墳の円部分が山側、前方部が平野部に向いているのは自然の地形を造墳に利用したからと、自分なりに勝手に理解。
 ともあれ、大津京への遷都に際し額田王が詠んだといわれる「三輪山を しかもかくすか….」の歌碑を過ぎ、穴師の丘の相撲神社に到着。当社は第11代垂仁天皇の御世に、野見宿禰、当麻蹴速が闘った日本初の天覧相撲の場。木立に囲まれた境内は、秋の強い日差しを受けて歩いてきた後だけに ほっと一息。相撲神社から坂道を登ると兵主神社。滋賀県にも琵琶湖西岸に穴太の地あり。その対岸の中主に兵主神社あり。兵主神は中国の軍事神らしいが謎の多い神。今回は参拝せず。
 坂道を少し下ると第12代景行天皇 纏向日代宮跡へ。本日のメンバー全員の日頃の善行のせいか、素晴らしい秋晴で、宮跡からの眺望は超絶景。奈良国中の全景の向こうに 生駒、二上山、葛城山、金剛山が一望。最高の国見ができました。

 檜原神社までは三輪山の山裾の道ですが、著名人の揮毫で多くの万葉の歌碑あり。残念ながら小生は万葉集は不勉強で、今後の課題。予定時間より約15分遅れで、檜原神社に到着。第10代崇神天皇の御世に宮中で祀っていた天照大神を三輪山麓の笠縫の当地に移設、崇神の皇女 豊鍬入姫が奉斎。その後各地を巡り現伊勢神宮の地に鎮座する。各地を巡った理由は謎ですが、小生の勝手な理解は、征服領域に対する示威行動でもあったのか? 檜原神社の注連柱の向こうは、二上山がくっきりと望める素晴らしい眺望。昼食は檜原神社から坂道を下った所にある私設公園。

池に映る三輪山と巻向山

 昼食後は坂道を下り 井寺池の堤へ。川端康成の書体で構成された倭健命の「大和は国のまほろば….」の歌碑。この地でも素晴らしい眺望を楽しみ、ホケノ山古墳へ。当古墳は前方部がバチ形に広がり、葺石あり。石囲い木槨埋葬施設で有名。魏史倭人伝では倭人の埋葬法として「死ぬと棺に納めるが、槨は作らず、土を盛り上げて塚をつくる」とある。当古墳は3世紀初めの築造と言われるが、実際には卑弥呼の時代よりは下る年代の古墳なのか??
 箸墓古墳は、自然の地形を活用したものではなく人工的につくられた古墳。宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女 倭迹迹日襲姫の陵墓に、日本書紀では第8代孝元天皇の姉妹の倭迹迹日襲姫と記載。典型的な前方後円墳で、葺石は二上山の石を人々が手渡しで運んだと、紀には記載。但し古事記では第7代孝霊天皇の皇女に夜麻登登母々曾毘売の名はあるが、造墓記事は無し。出土土器による年代測定、年輪年代測定法や、炭素14年代測定法による測定結果により、箸墓を卑弥呼の墓とする説もあるが、検体の種類による誤差、測定値誤差の大きさ等により、卑弥呼の墓否定説もある。古代史ファンにとって興味の尽きない古墳である。

箸墓古墳

 JR纏向駅のホームの端から、纏向遺跡の説明を受ける。卑弥呼の宮殿跡との説もあるが、箸墓古墳同様に年代論的に異論を唱える説もある。魏史倭人伝の王の住居は「宮殿、物見楼、城柵などは厳重に設けられ..」と記載されている。現在までの当遺跡の発掘では物見楼、城柵、鉄製武器が未発掘であるのに対し、吉野ヶ里遺跡ではこれ等がセットで発掘されている。但し、吉野ヶ里遺跡は卑弥呼時代の遺跡とは言えるが、他の理由で邪馬台国ではない。纏向遺跡の今後の発掘発見に期待。また当遺跡からは、銅鐸破片も出土しており、これはどのように解釈すればよいのか?

巻向駅ホームから纏向遺跡を見る

 二人のガイドさんの解りやすい解説、立ち位置まで教えて頂いた各ビューポイント。お陰で有意義な一日が過ごせました。有難うございました。奈良は奥が深く、今回の訪問でまたまた新たな謎が発生。謎が謎を呼ぶ古代史の迷路に入り込んで、興味が尽きません。また行きます。完。麦林 2012/10/07