「幻の大仏鉄道の遺構を訪ねて」 ウォーク感想記
9/29(日) 実施・・・参加者35名
史跡等探訪サークル主催では、久しぶりの絶好のウォークキング日和でした。
コースは、JR加茂駅集合→観音寺橋台→梶ケ谷隧道→赤橋→梅美台公園(昼食)→鹿川隧道→黒髪山トンネル跡→大仏鉄道記念公園[一次解散]→JR奈良駅解散
今回は、『大仏鉄道研究会』の三宅 学さんの案内ガイドで楽しい遺構めぐりハイキングとなりました。
・・・大仏鉄道研究会事務局長前川さん・高橋さんも参加
・・・マニア盗難対策の高い鉄製の柵だとのこと。
大仏鉄道とは、四日市に本社があった関西(かんせい)鉄道(株)が大阪への進出の意図を内に秘めて、現在の関西本線の加茂駅と奈良駅を結ぶ路線として開通させた鉄道路線の総称です。明治31年(1898年)4月19日に加茂~大仏駅が開通し、名古屋・伊勢方面からの大仏詣で客が大勢利用し始め、東大寺転害門に通じる一条通りが大いに賑わい大仏線は花形路線でした。
明治32年(1899年)5月21日に念願の大仏駅~奈良駅間が開通し、大阪鉄道に乗り継ぎ交通の便も大幅に改善されました。また、明治33年以降は、名古屋から加茂・大仏・奈良を経て湊町(現在のJR難波駅)までが関西線の本線となり重要な路線となりました。その結果、奈良駅からの利用客は増加しましたが、大仏駅の利用客が減少してしまいました。
また、大仏線は、急坂の黒髪山トンネルを越える難所や起伏の多い路線を抱えており、加茂~木津間に新設された平坦路線が明治40年8月に片町線・奈良線とともに木津駅に直結することになったため、大仏線は休止においこまれました。鉄道の国有化法が明治39年に成立し、大私鉄会社17と主要路線が国有化され、明治41年11月に廃業となり、わずか9年という短い生涯でした。
大仏線は、営業期間の短い田舎の小路線であり、国有化直前に営業休止したため、当時の資料が乏しくその全貌を知ることは、困難であることから「幻=まぼろし」の大仏鉄道と呼ばれています。
・・・稲穂の黄金色がまぶしい。
・・・・築堤(ちくてい)、石橋が一体となり、今にもSLが走ってきそうな景観が残っています。大仏線は起伏が激しく数も多く、谷や低地には、土盛りの築堤(ちくてい)で平坦な線路とし、その築堤が全路線の1/3以上を占めています。
・・・現在もこの上の市道を支えている。100年以上も経っているが、堂々としたレンガの赤色が実に素晴らしい。
・・・現在も農業用水路として使用されている。石組みが力強くて美しい。
・・・このトンネルの周辺は、1000mで25mも登るきわめて勾配のきつい難所です。昭和41年にこのトンネルがつぶされましたが、その当時、小学生の悪童だった私は、2度ほど自転車でワザワザ冒険と称して通り抜けをし、大変な高さがあったことが記憶に残っています。それもそのはずで、新幹線と同じ軌間への改造計画を視野に入れて造られたそうで、この関西鉄道の先進的な考え方がのちの新幹線誕生へと受け継がれたとのこと。トンネルの長さは、86mと説明がありました。
・・・消防署の跡地に平成4年に公園が作られ、平成19年に『大佛鐡道記念公園』の標識板が地元自治会・大仏鉄道研究会らにより奈良市が設置したのこと。
・・・平成19年2月に大仏鉄道研究会メンバーが発見。この佐保川をまたいで奈良駅へと路線が続いて行きます。
今回のウォークから次は、安堵町の木戸池に残る『天理軽便鉄道』の遺構をぜひ訪れたいとおもいました。
その機会には、みなさんぜひご参加ください。
文と写真:交流G史跡等探訪サークル 小林俊夫