三郷町ウォーキング 保存・継承グループ
昨年の秋から各班に分かれて行ってきた市町村指定文化財(建造物)の現地調査もほぼ収束したこともあり、グループで春のウォーキングを行いました。行き先は私たちの地元三郷町を中心としたコースでした。
日 時 平成26年5月10日(土)
コース (集合)近鉄生駒線竜田川駅 ⇒ 烏土塚古墳 ⇒ 辻ノ垣内瓦窯
⇒ 勢野(秋留)八幡神社 ⇒ 遍照院 ⇒ 薬隆寺八幡神社
⇒ <昼食> ⇒ 平隆寺⇒ 春日神社 ⇒ 持聖院 ⇒ おかげ灯籠
⇒ 観音寺 ⇒ 龍田大社 ⇒ 神南備神社 ⇒ 三郷駅(解散)
<集合>
極度の雨男がホスト役を務めることもあり心配されていた天気ですが、奇跡的に快晴、さわやかな風もあり絶好のウォーキング日和となりました。集合時刻の9時までに参加者全員が集まり定刻通りに出発です。
<烏土塚古墳>
平成26年平群町「時代祭」の実行委員長・福井基二さんの案内で烏土塚古墳へ。特別にカギを開けていただいて石室の中へ。飛鳥の石舞台古墳並の巨石でできた石室がここにもあったのかとみなさん驚きでした。天井から水滴が落ちてきて、ドキッとする場面も。墳丘の上からの見晴らしがよく、西宮古墳や椿井城跡に立てられた幟も見えていました。
烏土塚古墳を後にし、いよいよ三郷町に向かいます。平群町と三郷町で別々に宅地化したからか、地図上では歩くのにいい道がありません。しかし、鈴木理事の案内で事前に見つけていた「けもの道」を通り三郷北小学校の裏に抜けました。あの道は地元の人も知りませんきっと。
<辻ノ垣内瓦窯> 昔からの町並みを抜け、イーストヒルズという新しい住宅街にでました。その中に飛鳥時代の窯跡、辻ノ垣内瓦窯があります(150mほど離れた場所から移築)。先ほどのけもの道を抜けたあたりにも今池瓦窯という窯跡が見つかっており、このあたりは窯跡の多い場所のようです。辻ノ垣内瓦窯では平隆寺や法隆寺若草伽藍の瓦を焼いたようです。しばらく歩き続けたので、みなさんここでホッとひと息です。
<勢野(秋留)八幡神社>
三郷町最古の水船があります。昔はこの地域の神社で多く見られた「鬼打式」が今でも行われている神社です。でも、ホスト役の2人ともまだ見たことがありません。
<遍照院>
拝観はせず、葉っぱだけとなったしだれ桜を下から眺めるだけでした。枝垂れ桜は毎年3月末頃に見事な姿を見ることができます。樹齢や大きさなどの質問が飛びましたが、資料に書いてあり事なきを得ました。
<薬隆寺八幡神社>
氏子総代の高木さん、宮座の瓜生さんに、重要文化財の本殿と絵馬殿を案内いただきました。本殿について解説いただいた後は、みなさん横の坂を上って見事な檜皮葺の本殿の屋根を眺めました。なかなか本殿を見下ろすことはできません。貴重です。本殿修理の際の様子も興味深く聞かせていただきました。
絵馬殿では慶応三年に奉納された絵馬を見せていただくとともに、室町時代の作といわれる掛け軸の話もしていただきました。神社ではなく宮座で管理しているので、文化財に指定できなかったのだとか。
<昼食>
近くのカフェで昼食。先ほどの氏子総代の高木さんが作った野菜も使い、地元密着の店です。実はこの店の方から、高木さんを紹介いただきました。ここで一人隣のコンビニに買い物に出かけた方が・・・。何を買ったかは・・・。気持ちはよく分かります。
<平隆寺>
寺の方の都合が悪くなり、残念ながら拝観できませんでした。聖徳太子創建四十六ヶ寺の一つとされ、発掘調査により四天王寺式伽藍配置であることが分かっています。雰囲気だけ味わって次へ。
<春日神社>
三郷町の東の端まで来ました。本殿には天明八年(1788)の棟札が残っています。また本殿前の石段左右の耳石には、法隆寺文殊院長宗より明暦三年(1657)に寄進されたことを記した銘が残っています。という説明をしたところ、字がよく読めないので得意のモー牌で読もうとする方が・・。麻雀牌に書かれていない字ばかりなんですけど・・・。
笠かけ地蔵を見ましたが線刻が見えにくく、ここでモー牌ではないある技が発揮され、少し見えるようになりました。持聖院にある一針薬師を小さくした感じの石仏です。
予定より時間が早くなったため、ここで小休止。暇なので竹藪の中に生えた竹になりかけたタケノコを抜いて「少しくらい食べられるかな」などと言っているうちに時間は経ち、移動開始です。
<持聖院>
まずは庭で一針薬師を見せていただきました。日本一大きな笠石仏で、快慶最古の作と言われている像です。昨年ニュースになりました。部屋の中には拓本もありましたが、見事なものでした。
本堂も拝観させていただきましたが、みなさんパンフレットと見比べ、「この仏像はどこ?」「この厨子の中?」と話していると、厨子を開扉いただくことに。貴重な仏像を見せていただきました。
<おかげ灯籠>
伊勢神宮へのおかげ参りの「おかげ」です。「御蔭」と書いた燈籠は奈良県内に五十数基あるそうですが、三郷町内では唯一のものです。この字は技を使わずに何とか読めました。
さて、ここからは龍田古道を通って三郷駅に向かっていきます。
<観音寺>
重要文化財の地蔵菩薩が安置されています。都合が合わず拝観できませんでしたが、分かりにくい場所なので、今後のために観音寺の前を経由して龍田古道にもどりました。三郷中学校の裏にあります。
龍田古道の途中、毛無しの岳が見える場所で参加者の一人に得意の美声を披露いただきました。
「神名火の 磐瀬の杜の 霍公鳥 毛無しの岳に 何時か来鳴かむ(巻八 一四六六)」
急にその場でお願いしましたが見事でした。さすがです。それにしても、気を遣う地名です。
<龍田大社>
龍田大社のそばにあるギャラリー華倭里で、鍛冶屋を改装した建物(「煙返し」があります)や三郷町の昔の話を聞かせていただきました。亀の瀬の地すべりの時に、見物人でそれまで見たこともないくらいにぎわって、商売も繁盛したのだとか。
龍田大社はもともと龍田山にあり、その地域はたたら製鉄が行われており、タタラ製鉄の為に強風の吹くことを祈る神だったものが、新しい製鉄法と稲作とが渡来し、農業の守護神として風を鎮める神とされていきました。神々の役割も 時代と共に変遷していくということです。また、平家とのつながりもあり、高望王妃もお祀りされています。
<神南備神社>
最後の見学地です。ここで再び急な振りで美声を披露いただきました。
「神奈備の 伊波瀬の杜の 喚子鳥 いたくな鳴きそ 吾が恋まさる(巻八 一四一九)」
やはり見事でした。
<三郷駅(解散)>
みなさん、お疲れさまでした。またのお越しをお待ちしております。
龍田大社と信貴山以外に何もないと思っていた三郷町にも多くの文化財があることを知り、勉強になりました。
保存継承グループ 垣本・廣岡