保存継承グループ「大和の祭礼見学・5月」(蛇綱曳き・汁掛祭)
御所市蛇穴の「蛇綱曳き・汁掛祭」=5月5日実施
蛇穴と書いて「さらぎ」と読むのだが、何とも怪異で不思議な地名である。祭りの名称の通り、ワラで作った蛇綱(じゃづな)を地区の人たちが一緒になって曳くもので、そのスタート前に地区の野口神社で神職が参拝者や蛇綱に味噌汁を振り掛けて邪気を払うとともに、五穀豊穣を祈願する。
故事によると、その昔、修験道の開祖とされる役行者(7世紀から8世紀にかけての実在の人物)が茅原(現在の吉祥草寺のある地区)から市部(いちぶ、現在の蛇穴)を通って葛城山での修行に励んでいた。市部に住む長者の娘が役行者を恋慕ったが、役行者は修行の妨げと女性を追い払った。女性は怨念から遂に大蛇と化し、村の森の中の穴に隠れたという。
ちょうど田植え時期で、村人が森の近くを通りかかると、口から火を吹くその大蛇に出くわした。驚いて持っていた味噌汁を蛇にかけて逃げ帰った。その後、大勢で見に来ると、大蛇は井戸の中でおとなしくしており、村人たちは巨石で井戸を覆った。後にその場所に野口神社が建てられ、祭礼として女性の霊を鎮めるための「蛇綱曳き・汁掛祭」が行われてきた、とされる。
蛇綱は、野口神社境内で地区の大人がワラで5月4日に蛇の頭部を、翌5日早朝から胴体と尾を制作する。全長約14㍍で、頭部の両目と口は赤色。胴体の首から尾にかけては、同じわらで長さ約1㍍の握り綱が約20本取り付けられる。
地区約140世帯のうち14世帯が祭礼世話役の頭屋(「とうや」または「とや」)となる伝統があり、毎年2世帯がペアで務めている。祭礼当日は正午前の神事で野口神社宮司を兼ねる鴨都波(かもつば)神社宮司がスギの葉を束ねたお祓い串で境内の大釜で炊かれたワカメの味噌汁を参拝者と蛇綱に振り掛けた。
正午ちょうどに合図の花火が鳴り響き、法被姿の大人、子供による蛇綱曳きが神社を出発。太鼓と笛を鳴らす青年団員らが先導し、蛇綱を曳く約20人は地区内の全戸を順に回り、家々の前で邪気払い、無病息災を願って「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と共に蛇綱を3回、1㍍ほどの高さまで持ち上げる。蛇綱を曳く際は頭を北向きにしないという決まりがあり、南北の道では頭を南向きにして進んでいく。
地区内を3時間余りかけて回る長丁場のため握り綱を持つ役目も交替しながらの練り歩き。蛇綱が通った道にはワラくずが散らばる。通過した後で掃き掃除をしていた70歳代の婦人はにこやかに「多くの住民の思いがこもった伝統行事で、私は掃除で参加させてもらっています」。
地区内を回り終えた人たちは蛇綱と共に野口神社に戻り、境内にある井戸を模した石組みの蛇塚の上に蛇綱を巻いて奉納。参加者には紅白の餅が振る舞われた。最後に来年の頭屋にとぐろを巻いた蛇のご神体を引き継いで祭礼を終えた。
御所市の無形民俗文化財に指定されている「蛇綱曳き・汁掛祭」。お祭りに大蛇を使うのは中国伝来の行事とする説もある。市部という地名がいつごろ蛇穴に変わったのか、蛇穴と書いて「さらぎ」と呼ぶようになったのはなぜか。謎の多い地の故事に彩られた奇祭だが、世代を超えた住民の一体感あふれるお祭りでもある。
(文・写真 保存継承グループ 久門たつお)