三輪山伝説!大物主神と4人の妻
実施日2020年12月13日(日)
行程 エルト桜井(木村さんの講演)⇒海石榴(つばいち)⇒志貴御県坐神社(磯城瑞牆宮跡伝承地)⇒大神神社⇒茅原狐塚古墳⇒箸墓古墳⇒JR巻向駅 (約8㎞)
今日は、「歩く・見る・学ぶ!『日本書紀』物語2020」シリーズの最終回。『日本書紀』の舞台になった山の辺の道とその周辺に点在する仏教伝来の碑、大神神社(おおみわじんじゃ)、箸墓古墳などをめぐり、古代ロマンを存分に味わっていただこうと企画したものです。
「三輪山伝説!大物主神と4人の妻」と題して、奈良まほろばソムリエの会顧問の木村三彦さんの講演を聴きました。
大神神社のご祭神である大物主神。倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)、活玉依姫(いくたまよりひめ)など、『日本書紀』『古事記』に語られる大物主神に仕える巫女(妻)の話に、熱心に聞き入っていました。
海石榴市は古代からの交通の要衝として栄えたところです。遣隋使として隋に渡った小野妹子が裴世清(はいせいせい)を連れて帰国したとき、75頭の飾り馬で出迎えた様子が描かれています。広い河原で各班が説明しています。
対岸に仏教伝来の地の碑が立っています。大阪から大和川を遡ってくる船の終着点の一つで、『日本書紀』では、欽明天皇の時代に百済の聖明王から贈られた仏像や経典が到着したと記されています。
碑の傍らの万葉歌碑を解説しているところ。
志貴御県坐神社の境内に磯城瑞籬宮跡伝承地の碑が立っており、『日本書紀』には第十代崇神天皇がこの地に宮を遷したと記されています。崇神天皇は大物主神と深い関わりを持つ天皇です。
お昼は大神神社門前の福神堂でにゅうめんと柿の葉寿司のセット。温かい食事にホッと一息。静かに、静かに味わっておられました。
大物主神を祀る大神神社は三輪山をご神体としており、本殿を持たない神社です。拝殿の奥にある三ツ鳥居をとおして、三輪山を拝む古来の神祭りを受け継いでいます。
現在の拝殿は徳川四代将軍家綱が再建したもの。
神武天皇聖蹟狭井河之上(さいかわのほとり)顕彰碑の裏面に「神武天皇伊須気余理比売(いすけよりひめ)の御家ありし狭井河之上に行幸あらせられたり。聖蹟はこの地付近なりと推せられる」と刻まれています。
ご祭神は大物主神の妻の一人、倭迹迹日百襲姫。この地が『日本書紀』に記されている、崇神天皇が八十万の神(やそよろずのかみたち)を招いて占いをした神浅茅原(かむあさぢはら)と考えられています。神浅茅原は纏向川と初瀬川に挟まれた、いわゆる“瑞垣郷(みずがきごう)”と呼ばれた地域で、古代から聖域とされてきました。
正面の三輪山の美しい姿が印象的です。
築造時期は7世紀後半で、弁天社古墳と相前後して造られたと考えられています。17mもある桜井市内でも屈指の規模を誇る石室にナルホドー。
箸墓古墳は宮内庁により、倭迹迹日百襲姫が祭る大市墓として管理されています。『日本書紀』では「昼は人が造り、夜は神が造った」と記され、また「大坂山の石を手渡しで運んだ」と記されています。
拝所から周濠に向かう途中、山茶花が咲いていました。あまりの美しさに思わずパチリ。
大池の水が引く冬には、周濠に箸墓古墳の裾が見えます。めったに見られない眺めに、皆さん食い入るように見ていました。
数々の『日本書紀』の舞台をめぐる楽しい1日でした。