関東グループ ウォーキング「生田緑地(川崎市多摩区)で、遺跡と奈良の町家を見る」

2024年4月21日(日)
関東在住者からなる関東グループでは、懇親会やウォーキングをそれぞれ年に2,3度開催しています。この日は、コロナ禍を経て約4年ぶりにウォーキングを行い、総勢9人が集まりました。コース設定の際には、関東に居ても奈良との結びつきを感じられる場所を一か所は訪問するよう心掛けています。
今回は、川崎市多摩区の小田急線向ヶ丘遊園駅に集合し、生田緑地を目指します。10分ほど歩き、北口近くの生田長者穴横穴墓群に到着。

墓穴の中は暗くて狭いので様子が見えませんが、被葬者の骨や歯などのほか、遺骸に添えられた金環・管玉・小玉・銅釧・鉄鏃などの副葬品が、おもに玄室から出土しています。出土遺物や横穴墓の形態などから、7世紀中頃から後半にかけて築造された、集団の家族墓や一族の墓だと考えられています。斉明天皇、天智天皇の頃でしょうか。
ここから階段を300段ほど登り、尾根上の道を抜け升形山広場に到着。標高84mの枡形山は、鎌倉時代の源頼朝の侍大将であった稲毛三郎重成が城を構えたと伝えられています。春には桜が咲き誇り花見客で賑わいます。冬場には富士山がよく見える展望台に登り景色を楽しみました。

360°のパノラマを楽しんだ後は生田緑地内で多くの古民家を保存する日本民家園を訪れました。ここには、大和民俗公園と同様、移築された多くの古民家が展示されています。

大和民俗公園では奈良県内の古民家を展示しているのに対し、日本民家園では全国から移築された24棟の古民家を展示しています。その中に柳生街道沿いの奈良市高畑から移築された井岡家住宅があります。井岡家は、古くは油屋と伝えられ、「油屋与兵衛」を名乗っていたましたが、嘉永年間(1848~1854)に、現在の奈良市誓多林町の線香原料を扱う家から養子を迎えたことをきっかけに、線香屋に家業を改めました。正確な建築時期は不明ですが、過去帳の最古の年号が元禄9年(1696)であることから、17世紀末から18世紀初期の建造と推定されています。
冒頭の「奈良との結びつきを感じられる場所」として、今回のウォーキングの目玉です。しかし、現在は耐震補強工事中で中を見ることはできませんでした。

外から工事の様子を見つつ参加者で構造などについて感想を述べ合いました。工事前に撮った姿がこちらです。平入の、切妻造・瓦葺・漆喰塗で、正面には鹿格子が設置されています。

気を取り直して園内を進み、園内のそば処「白川郷」で昼食にします。

大きな合掌造りの山下家住宅にあるお店です。山下家は白川村にありましたが、ダム建設のため水没することになったので、川崎市の個人が入手・移築して一時料亭として使用していました。その後、昭和44年(1969)に日本民家園に移されました。私は民家園そば(900円)を頂きました。

食事中は「最近奈良に行きました?」に始まり、奈良に関する話しに花が咲きました。参加者9人の集合写真を撮りました。隣席の方のご厚意でカメラ所有者を含む全員の写真が撮れました。

お腹を満たした後は、展示されている各棟を隈なく回りました。

奈良から移築された井岡家住宅を見学できなかったのは残念でしたが、横穴墓を見て当時の生活に思いを馳せ、展望台からの眺望を楽しみ、古民家を回って各棟の特徴などを語り合った有意義な一日でした。

文責:川原範弘