飛鳥モニターツアー体験記 ② 道草の巻

ソムリエサポート部会 6月10日(日)実施

 飛鳥駅に降り立って、ふとツアーガイドのために今日までに、飛鳥の里に何回訪れただろうとスケジュール帳を繰って見て、既に10回になっていた。現場(ガイドポイント)で、現物(石造物等)を、現実(伝承や発掘資料等)を充分に理解することは、現役の時代から身についていた。
 予定通りの時間に電車が到着して、8名が同伴者とともに改札口から待合室へと。このメンバーは『歴史を学ぶ会』と同伴者より聞いており手ごわいなあと感じたが、年齢が近いせいかプレッシャーはなかった。
 私は、今回がツアーガイドのデビューとなる。これまではOB会の奈良・大和路のガイド役で20~30名を一人でガイドした経験だけだった。しかし、ツアー後にこのメンバーの正体を知って少々ビビルことに。
 今回の体験談は、『謎の石造物』のコースでの道草で、本コースは皆様がご参加いただいた時のお楽しみとしてください。

飛鳥観光エリア周遊マップ

 さて、飛鳥駅のロータリーにある明日香村観光案内板の前で自己紹介を兼ねて今日のコースと休憩・トイレ場所の案内をして、すぐに目の前の飛鳥蓬莱山の説明に至る。これも謎の石造物のようであるが、2011年の年末に開催された飛鳥プロジェクトを機に絹谷幸二・幸太の両氏が、吉祥を表す蓬莱山に明日香村の自然や日出づる国をイメージした文様が彫り込まれている。
 絹谷幸二氏は、奈良県生まれで日本を代表する洋画家であり、アフレスコ画における第一人者である。飛鳥プロジェクトを見学しなかったことに悔いが残る思いで案内をしている。

飛鳥蓬莱山

 猿石の発見された、欽明天皇陵の南で1986年にアパートの建設に伴い発掘調査され石積みの池の岸と北に広がる石敷き広場が見つかった。平田キタガワ遺跡である。ここは巨勢路(紀路)から飛鳥への南の玄関口で、石敷き広場と苑池を設けて、その傍らに奇抜な姿の石造物の猿石が並べられていたのでは? と想像を掻き立てる。

 平田キタガワ遺跡が地下にあるアパート
 ところでもう一体の猿石は、というと高取城跡に置かれていた。だれが、いつ、なんのために・・・・・・? 謎・謎・謎

高取城跡の猿石(現物)

 鬼の雪隠に向かう途中に休憩園地がありそこに檜隈川の歌碑がある。
『さ檜隈 檜隈川 瀬を速み ・・・・・』、そんなに流れが速い?

現在の檜隈川

 鬼の雪隠の手前のカナヅカ(金塚)古墳は、現在は欽明陵の陪塚になっており、調査で一辺が60mの大方墳であることがわかった。1890年、土地の所有者が石室の石を壊していて、その工事の中止を奈良県知事に提出した上申書に、石室の概要と見取り図がつけられて、「大ナル切石ヲ以テ」積んだ玄室は奥壁・側壁ともに2段積みで、7世紀中頃の横穴式石室の古墳である。
との記事は、橿原考古学研究所付属博物館の解説資料にあった。ここの資料室にはかなりの発掘資料が並べられている。

カナヅカ(金塚)古墳

 第2の鬼の俎板は、現在地より少し東のところで同様の横口式石槨があったようで、掘り出された床石(底石)は、現在は橿原考古学研究所付属博物館の玄関の右側に屋外展示されている。博物館へ行く機会があればご覧あれ。

第2の鬼の俎板

 天武・持統天皇合葬陵からしばらく行くと、民宿、脇本家の東側の裏山の山中には額田王の墓(植山古墳・野口植山城跡)と万葉歌碑があるとのこと。歌碑は大海人皇子(天武天皇)を思う、
『古に 恋ふらむ鳥は 雀公鳥(ほととぎす)けだしや 鳴きし わがもへる如』。

民宿、脇本家の東側の裏山
明日香村で唯一の地下道

 道路工事が完了して、人と自転車は地下道を利用するようになった。

 マラ石から石舞台への途中に祝戸荘の案内板があり、風呂は「御井の湯」とある。その由来は、飛鳥を守った大恩人「御井敬三氏」の名前からであった。
 宅地開発の波が甘樫丘まで迫ってきており、これでは飛鳥の自然の風景が破壊されると松下幸之助に相談して、テープレコーダに吹くき込んだ陳情文を当時の総理大臣であった佐藤栄作へ届けてもらい、佐藤総理も明日香村を訪れ、保存法が成立した。

祝戸荘の案内板

 石舞台古墳の近くの島庄遺跡は、日本書記には「飛鳥河の傍に家せり 乃ち庭の中に小なる嶋を池の中に興く故 時の人 嶋の大臣と曰う」とあり蘇我馬子の邸宅跡と推定され、発掘調査で方形池が見つかっている。
蘇我氏が滅亡した後に、草壁皇子の嶋宮も同じ場所にあったようであるこの遺跡は、縄文時代から中世までの複合遺跡である。

水田の下層が島庄遺跡

 飛鳥坐神社は、飛鳥の神奈備山にあり、のちに現在の鳥形山へ遷座したという。その神奈備山の候補地には甘樫丘や雷丘もあるが、橘寺の仏頭山の後方の「ミハ山」の可能性が高いと和田萃氏が書物で言う。

甘樫丘と雷丘を望む
飛鳥の神奈備山と称するミハ山(中央)

 当初の練習時から、上居(じょうご)の立石と足腰の病に効くという弥勒石をコースからカットして歩行距離と時間の短縮を図り、予定通り飛鳥資料館に到着してほっとしているところで・・・・・・・
 今日の飛鳥のミステリアス・ストーンズ巡りのコースを振り返って見ますと、飛鳥駅を出発して、猿石⇒ 鬼の俎板・雪隠⇒ 亀石⇒ 橘寺(二面石・三光石)⇒ マラ石⇒ 坂田寺跡⇒ 石舞台古墳⇒ 飛鳥京苑池遺構⇒ 岡の酒船石 ⇒亀形石造物⇒ 飛鳥坐神社(陰陽石)⇒ 飛鳥資料館(猿石等の複製)
 今日のメンバーは、検定のソムリエが2名、1級が5名、2級が1名と聞かされたが、そうなんやと思っていたが、朱雀の会が3名と山の辺の道が1名、平城京跡が1名の現役のガイドであることを知り、アンケート結果が怖く思えたが、既に後の祭りであった。
しかし、最高の体験でもあって、その夜の酒が美味く、深い眠りに就いた。

担当ボランティアガイド 栗栖 勲