記紀万葉サークル12月例会「岩橋千塚古墳群(紀伊風土記の丘)」

12月9日(土) 参加者7名

和歌山県立風土記の丘は、全国屈指の群集墳「特別史跡岩橋千塚古墳群」の保存を目的として開設され、附属する資料館には県内の考古・民俗資料が収集・保存されています。

園内に密集する古墳群

園内の古墳群は、400基余りの小古墳と数基の中規模古墳で構成されており、5世紀から7世紀にかけて築造されたと言われています。ほとんどの古墳が紀ノ川流域に産する結晶片岩(緑泥石片岩)の板石を小口積みにした石室と石室内に石梁・石棚などと称する構造物を有するのが大きな特徴です。実に端正に組上げられた石室ですが、小さな石材を小口積みにしているため開口部や羨道の幅が狭く総じて小じんまりした印象を持ちました。

前山A32号墳の開口部

石棚を持つ古墳群は、福岡県(遠賀川流域)・熊本県(菊池川流域)・徳島県(吉野川流域)にもあるようで、何れも石室に結晶片岩を利用していますが、規模において岩橋千塚が他を圧倒しています。これら類似する古墳群の築造主体の関係については、定説はないのですが、想定できないことではないと思います。

石棚のある石室
石梁(上)と石棚(下)のある石室

この地域は「木の国」と呼ばれるように、杉や楠の巨木を潤沢に産していました。大型船の建造や外洋航海術に長け広域的に拠点を持ち、朝廷の半島経営に貢献した紀氏と呼ばれる氏族の本貫地として知られています。この古墳群の築造主体は、紀氏に連なる集団であることは間違いありません。

将軍塚古墳後円部の石室(手前は玄室の扉石)

将軍塚古墳・大日山35号墳など中規模の前方後円墳は族長クラスの墳墓なのでしょう。紀○○宿禰とか紀臣××とか呼ばれ中央政界に進出した人達の支持基盤がこのあたりにあったような気がしました。

文・写真:記紀万葉サークル 田中昌弘