女性サークル(ソムリエンヌ) 「水泥(みどろ)の伝説と古民家カフェでランチ」
梅雨の晴れ間の6月17日(土)に、ソムリエンヌの12名で御所市の巨勢谷と呼ばれる地域を訪れました。この辺り一帯は、古代豪族・巨勢氏の本拠地として6世紀頃から栄え、飛鳥と紀伊国(和歌山)を結ぶ「紀路」が通っていたところで、あちこちに多くの伝説が残されています。そんな伝説の地を尋ね歩いて探し出したという寺田さんに案内して頂きました。
昨年(2022年)開業百周年を迎えた吉野鉄道の起点となる近鉄吉野口駅で集合。のどかな田園風景の中、曽我川(巨勢川)を遡るように15分ほど歩くと、川合八幡神社の鳥居が見えてきました。
川合八幡神社は、誉田別命(応神天皇)を祀り、欽明天皇32年(571)創建と伝わる古社です。広い拝殿の中に、藁で編まれたぼこぼことした異様な物体がたくさんぶら下がっています。
これは、10月第2日曜日に行われる「引合餅(ひきあいもち)行事」で使われる「コグツ」というものだそうです。お祭りでは、このコグツの中にたくさんの餅を封入したものを、急斜面の石段の上の神前に供えた後、当屋が石段の上から投げ落とし、下で待ち構えていた若者がそれを担いで再び神前に戻す、これを3回繰り返した後、子供たちがコグツに付いた綱を境内で引き回すということです。以前はその餅を男たちが奪い合うという勇壮な行事だったそうですが、今は参拝者に配られるということです。コグツの中の餅を妊婦が食べると安産が約束されるそうで、安産祈願の参拝者が多く来られるとのこと。祭り当日は、高張提灯4本とススキ提灯4本が立てられるということです。ぜひ一度お祭りに参加して、霊験あらたかなお餅を手にしてみたいものです。
川合八幡神社から集落の中を少し歩くと、何やら霊気の漂っていそうな大木が鎮座しています。ここからは、グーグルマップにも載っていない水泥(みどろ)の伝説地です。この大木、人びとから神木と呼ばれて、隣に春日神社の小さなお堂が祀られているにも関わらず、さわると祟りがあるためさわらないことにしているということです。
さらに伝説を求めて歩いていると、道を間違えたんじゃないかと地元の方から心配されるハプニングも。藪の中を少し入った先に、濁った池が現れました。ここは「大日池」と呼ばれ、「昔、ある人が、大日如来を拝みたいと一心不乱に祈願すると、夢のお告げに、水泥の池まで来いと言われた。その池まで行くと、大蛇が出てきて、忽ち大日如来のお姿をあらわし、しばらくして消え去った」という伝説があります。
大日池の目の前に、唐笠山(とがさやま)という小さな山があり、この日は登りませんでしたが、その山頂近くの岩に石仏が彫ってあるそうです。これを「はしか観音」と言い、昔からこの村の子供は、はしかにかかったことがないとの言い伝えがあります。
ここからまた巨勢道に戻り、水泥北古墳を所有される西尾邸を目指しました。途中、「水泥北古墳が見つからない!」という方に出会いましたが、そりゃあ見つからないはず、個人宅のお庭の中なのですから。まず邸内のカフェに荷物を置いて美味しいお水で一息ついた後、西尾様ご夫婦の案内で水泥古墳を見学させていただきました。
水泥南古墳は7世紀初頭に築造された、直径25mの円墳と見られています。石室は、全長約15m、幅2.4m、高さ2,6mと小ぶりなため、4人ずつ交代で見学しました。玄室と羨道にそれぞれ1基ずつの家形石棺が置かれていて、石室の中は満杯状態です。我こそはその隙間に入り込もうと、数人の細めの女性がチャレンジしましたが、みんな途中で引っかかって断念。この古墳で特に注目されるのは、言うまでもなく奈良検定常連問題の、手前の石棺に施された蓮華文です。1400年後の今でもこのようにくっきり残っていることに感動を覚えます。
水泥北古墳は6世紀後半の築造で、直径約20mの円墳。石室は全長13,4m、幅2,9m、高さ3,3mと大きく、石棺は置かれていません。12人全員が入ってもゆとりのある大きさでした。中は涼しく、国史跡に指定されるまでは冷蔵庫代わりに使っておられたとか。こんな大きな古墳の石室を所有する家って、他にあるでしょうか?
邸内の資料室には、南古墳出土の須恵器や金銅製の耳環、北古墳出土の土管(排水管)などが展示されていました。が、その向かい側に並べられている奥様手作りのアート作品の方に目を奪われた私でした。
水泥古墳は、明治時代には蘇我蝦夷・入鹿の墓である「今来の双墓」と考えられていました。しかし発掘調査の結果、時期が合わないことが判明し、今では、朝鮮半島との外交・軍事に従事して隆盛を誇った巨勢氏の盟主の墓とみられています。
古墳が無くても文化財指定されそうな立派なお屋敷とお庭、それに三国志の描かれた大きな衝立を見学させていただき、邸内に昨秋オープンされたという「古墳カフェMidoro」でランチタイム。地産地消の新鮮野菜を使ったとっても体に良さそうなお惣菜がずらり10品ほど並び、それにコーヒーとケーキが付いて1800円というリーズナブルさ。美味しく楽しくいただきました。この古墳型のお皿、どこかに売っていないかなあ。
午後は吉野口駅方面に戻るように歩き、最後の伝説地「卯神社」へ。その昔、今木川を流れてきた今木(大淀町)の神社を拾い上げて祀ったとされています。確かにすぐ側を今木川が流れています。祭神は大物主命。大物主命は大国主命と同一神と見られ、大国主命といえば「因幡の白兎」。そこから卯神社の名前が付いたのかと思われますが、正確なことは分かりません。
水泥(みどろ)も十指に入る難読地名かと思われますが、この卯神社周辺も「奉膳」と書いて「ぶんぜ」と読みます。昔、後醍醐天皇が吉野へ行幸の途中、この地でお休みになった際、村人が御食膳を奉ったところから付いた地名とのことです。最後まで伝説に彩られた巨勢谷での1日でした。
著名な観光地を巡るのも楽しいけれど、このような地誌の中に書かれた伝説を見つけ出して訪ねるのも楽しいものです。ソムリエンヌ新入会員の皆さま、これからいろんな体験を共に楽しみましょう。
女性サークル(ソムリエンヌ) 文章:大谷巳弥子 写真:寺田麻美・大谷巳弥子