史跡探訪サークル「奈良国立博物館周辺を巡る」

史跡探訪サークルは5月27日(火)、参加人数11名(申込後キャンセルもあり参加者が減った)で奈良国立博物館周辺を巡りました。
最近のややこしい天気で、小雨が少しパラツク様相。駅前には、まだ外国人観光客の姿が見られない静かななか、10時15分、近鉄奈良駅前をスタート。

行基像
近鉄奈良駅前集合写真 

東向商店街を南に抜け、三条通りに出てくると、流石に多くの観光客が、三々五々興福寺方面に向かっていかれますね。
この猿沢池に向かう、通りの道路にこんな標識がありました。あまり気がつかれないでしょうね。

奈良県里程元標の道路面標識
奈良市道路元標と里程元標復元

里程元標は、全国の道路の距離や状況を把握するため、各府県の本庁所在地の交通の起点となる場所に設置、奈良県では明治21年に橋本町に置かれ、大阪、三重、京都への距離などが記されていたようです。元標は石の台座のみとなり、高札場前に、橋本町自治会と三条通り橋本商親会がヒノキ材で高さ3m、30㎝角で里程元標を復元されたものです。三条通りを、少し出たところでこんな歴史を物語る遺物を発見できました。

この元標の右側に、春日大社境外末社で、社殿は西向きで池に背を向けている采女神社がありますので見て行きましょう。奈良時代に天皇の寵愛が薄れたことを嘆き、池に身を投じた采女の霊を慰めるため創建。隣にある猿沢池と関連した采女の話しに、いつの世も男女の仲というものは、糸が絡んでほどけないほど難しいものと感心するばかり。

猿沢池畔の采女まつりの案内

さて、猿沢池のほとりを進み、池の東畔には「きぬかけやなぎ」の石碑があり、その右手奥の湖畔に以前は、柳があったのですが現在は枯れて無くなっています。ここで、采女の伝承として残された出来事をお話ししました。あくまで、伝承のひとつですが、柳に衣をかけ、入水したかのように見せかけ池からあがり、采女の地元(福島県郡山市)に戻ると、更に悲劇が! 恋人は既に入水し亡くなっていた。これを悲しみ、恋人のあとを追い入水したとの逸話が残るそうです。奈良市と同様、郡山市でも采女祭りが盛大に行われているそうです。(郡山市片平町にある采女神社;王宮伊豆神社末社)
日本人って、本当にこの手の話しに弱いものですね。

采女と衣掛柳の伝説の案内

猿沢池から、なかなか脱出できない状況が続いてます。猿沢池の南西沿いの川底に残された多くの地蔵さんと嶋嘉橋方面に向かいます。川に降りる階段にお気をつけ下さい。
嶋嘉橋は、椿井町の島屋嘉兵衛さんが、1770年に上街道の起点にあたる率川に石の橋を寄贈。橋の下に「明和7年庚寅年5月吉日」の石碑が残されてます。中州にあるお地蔵さんは、河川工事中に発見された(おそらく廃仏毀釈のおり捨てられた)石仏を工事業者が船に乗せて祀られたようです。この船形は、石橋なので架橋に水の抵抗を避ける為水が分かれているようですよ。これだけ、集められれば壮観ですね。合掌。

率川地蔵尊

南に進んで行くと、「博打の神さん」として有名な道祖神社があります。祭神は、猿田彦命と市寸島姫命。猿田彦は天孫降臨の道案内で、道祖神に結びついたのか平城天皇の時代に、元興寺境内に創祀されたと伝わります。上ツ道沿いの道祖神(塞の神)で猿田彦は開運の神としての信仰を集め、塞の神、賽の神と変わり勝負の神で、勝負石の欠片を持つと勝負運がつくとされるようです。皆さん、今後の人生の開運を真剣に祈っておきましょう。

ここから東の方に進むと、奈良町センターが見えてきます。この場所は、江戸時代には南都柳生屋敷があったそうです。更に明治になってから町制が敷かれ、ならまち役場、奈良市役所として変遷し、昭和52年現在の二条大路に移転した。本当に猿沢池周辺に残された歴史には目をみはるばかりです。
奈良町センターの東側道路にある現在の尾花ホテルさん、玄関左脇に桂米朝さんの石碑が、残されています。この尾花劇場の繁栄や当時の盛んであった演芸の名残が見え隠れします。1979年に尾花劇場を閉められ、1981年にホテルサンルート奈良をはじめてから40年。サンルートホテルチェーンとの契約が終了すると、令和2年6月1日より「ホテル尾花」へ改称。本当に奈良には、多くの劇場や、映画館があったようですね。

やっと、猿沢池周辺から、出ていけそうです。定休日の和菓子屋さんの細い角を曲がり、東の路地を進むと奈良の難解な地名の場所に出てきます。ここは「不審ケ辻子町」だそうです。想像とは全く違った読み方で「ふしんがづしちょう」と読むそうです。地名というのは難問ですね。このいわれは、その昔、元興寺の鐘楼に鬼が現れ、人に危害を加えるので道場というお坊さんが、これを退治しようと争い、逃げる鬼を追ったが、この辺りで見失ってしまったことからこの様に呼ぶようになったとか。

不審ケ辻子町案内板

細い路地には、古民家ギャラリー、ゲストハウスなどが点在しており、路地に入って行かないと全く気が付かない隠れ家的なスポットばかり、時代が変われば変わるもんだと、皆さんも感心しきり。

奈良ホテル入口の案内板には、眼もくれず右に折れて、大乗院庭園に向かいましょう。ここで小休止を取りますよ。 大乗院の歴史に思いを馳せ、窓越しに緑豊かな庭園を楽しんでください。大乗院は、1087年創建、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつです。南都焼き討ちにより焼失後、この場所に移り、明治初年に廃寺となるまで存続していたとか。この庭園には、足利将軍をはじめ公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降明治初頭まで南都随一の名園と称えられ、戦後一部が整備され、1958年国の名勝に指定されている。現在奈良国立博物館南側の庭園にある数寄屋造りの八窓庵(茶室)は元々この場所にあったようです。

休憩もとり、体調も回復してきたようで、瑜伽山園地方面に向け進みましょう。信号を渡り、まず、瑜伽神社に参拝です。目を見張るような石段を登りつめれば朱色に美しい拝殿がありますが、失礼して下の鳥居から参拝します。古の飛鳥京にその佇まいが似ていることから「平城(なら)の飛鳥」ともいわれ、現在は全域が歴史的風土特別保存地区(春日山特別保存地区)に指定されています。拝殿東側にはその情景を詠んだ大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の万葉歌碑があります。平安期になって興福寺の大乗院の鎮守社として篤く崇敬され、社の名もその宗論の「瑜伽(ゆうが)」となりました。「瑜伽」とは仏教用語で、呼吸と精神の合一をはかる「ヨガ」の語源とも言われています。御祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で、食べ物を司る神として産業全般を御守りいただいています。(別名を豊受大神と申し伊勢の外宮に鎮り坐す大神と御同神)

瑜伽神社のこと

では、少し坂を登って進みますよ。奈良を見下ろす高台に鎮座される奈良町天神社さんです。この地は、古より聖地とされた場所で、医学や学問の神と崇められた国つ神の中心の一柱である少彦名命をお祀りされています。奈良時代以降は付近の興福寺や元興寺の鎮守となるなど奈良の地において非常に重要な神社ですご祭神は、少彦名命、菅原道真。
この神社の右側にある高円山のほうを見てください。ピラミッド状の土塔が見えますよ。 奈良時代、藤原広嗣のたたりで死んだ僧玄昉の頭を埋めたとの伝説のため、頭塔と呼ばれていましたが、正しくは、東大寺の僧実忠が国家安泰を祈って築いた土塔の跡といわれています。過去の歴史に遡れる場所が随所にあるんですね。

天神社から望む頭塔

では、今日案内する中で、特別の場所に進みますよ。天神社から浮見堂に向け坂を下ると鷺池と浮見堂の南側に位置する瑜伽山園地に到着です。まあ、あまり見学されない場所と思います。1927年、瑜伽山と鷺池などが一体となる絶景の地として国指定文化財「名勝 奈良公園」に追加指定を受けた。明治期から大正期にかけて大阪財界で活躍山口吉郎兵衛氏の別荘があった場所です。入った入口付近は、平地で水が無く、岩と砂で造られた枯山水と洋風庭園。東側には、池泉庭園があり池の手前の灯籠の中台の廻りには干支が彫られ、皆さんの干支を探してください。西側の灯籠は笠が「切妻屋根」など趣きある灯籠ばかりです。今日は、滅多に見学出来ない茶室が拝観できるみたいですよ。さあ中に入り説明を聞きましょう。数寄屋風で建てられた茶室(滴翆;てきすい)、手水鉢や灯籠は明治のものとか。時間があればゆったりとした気分で一服喫したいものです。

瑜伽山園地説明資料 奈良県作成パンフレット

優雅なひと時を過ごし、ストレスも解消され、終盤のスポット浮見堂、旧奈良県物産陳列所に進みましょう。浮見堂周辺では、映画の撮影、「男はつらいよ」の一作目、最近では「35年目のラブレター」のロケ地として知られています。このあたりに来ると観光客も多くなってきましたね。
鷺池の坂を登って、少し北に進むと、重要文化財ともなっている旧奈良県物産陳列所(仏教美術資料研究センター)の外観を見てみましょう。1902年関野貞氏の設計で、木造、瓦ぶき、漆喰塗りなど日本の伝統的建築様式や、窓枠などにイスラム風の意匠も取り入れられた近代和風建築。見た目は、宇治の平等院の建物に似てませんか?県下の物産展示即売の施設として利用、その後、1951年国に移管され、現在は仏教美術に関する調査研究資料の収集、保管、図書公開を目的に使われているようです。

さあ、公式な案内はここまでです。 三社池休憩舎に向かい昼食を摂りましょう。
東大寺方面に向かうと、外国人観光客の方々の様々な言語が飛び交い賑やかなこと、賑やかなこと! 三社池の畔での楽しい昼食後は、奈良国立博物館新館で超国宝展を鑑賞です。午前中、入手しておいたチケットを、配布後ここで解散となります。

奈良国立博物館新館 超国宝展会場

皆さん、ここまでの、探訪お疲れ様でした。ここからは、今後は、絶対拝観出来ない貴重な国宝出品物ばかりです。時間の許す限り、思う存分眼に焼き付けお楽しみください。

次回は11月ごろ散策を企画しています。お楽しみに。

史跡探訪サークル 文書作成・写真撮影  石川 雅司