社寺探訪サークル 円成寺と滝坂の道を訪ねて

10月29日 奈良は晴天に恵まれ、社寺探訪サークル主催の“円成寺と滝坂の道を訪ねて”の参加者27名はJR・近鉄にそれぞれ集合し、奈良交通に連絡を入れておいてくださったおかげで、増発便に乗車、全員着席して一路忍辱山に向かいました。
往路のバスの中からすでに交流会が始まっていて、ミシュランの話題や今後のプランの要望など30分もあっという間に過ぎ、忍辱山のバス停に着きました。
円成寺は運慶最初期の作である大日如来像がつとに有名ですが、寺には多くの魅力的な仏像、建築物、庭園があります。
最初に私たちを迎え入れてくれるのは浄土式庭園で、すでに紅葉がはじまりかけた木々が水面に映り、檜皮葺の楼門を正面に見ると、まさしく浄土への入口の趣です。

忍辱山―円成寺

忍辱山(にんにくせん)周辺には大慈山(だいじせん)・誓多林(せたりん)・菩提山(ぼだいせん)・鹿野園(ろくやおん)と釈迦の修行の聖地に因んだ名称を持つ地名が今でもあり、「北大和五山」と呼ばれていました。
円成寺は平安末期に命禅上人が十一面観音(今は本尊左の御堂にお祀りされています)を祀られたのが始まりです。
浄土思想の高まりで院政期に本尊は阿弥陀如来になりました。

円成寺本堂で、ご住職の奥様からとても詳しいお話をうかがいました。
本堂は非常に珍しい”舞台付き 寝殿造”で堂内の両脇に局を備えています。
本尊 阿弥陀如来は高御座型の厨子に安置されており、厨子は背面以外の三方開放なので三方向から拝むことができます。
内陣の柱には極彩色で来迎二十五菩薩が描かれ、今でもその一部がはっきりと確認できます。
康勝(運慶の四男)の作と伝えられている四天王像が祀られています。
法隆寺金堂の阿弥陀三尊像と同じ作者ですね(仏師は金銅も木彫もできたのですね。
金銅仏はその原型を仏師が塑像のようなもので拵えて、銅の型をとるのは別の職人なのでしょうか?どなたかご存知でしたら教えてください)。

いよいよ滝坂の道を歩きます。森林の中をぬける道は清々しく、秋の凜とした空気のなか、気持ちよくウオーキングを楽しみました。
お待ちかねのお弁当は下見のときに見つけておいてくださった沿道の一角で賑やかに摂り、食後は円座になって自己紹介・ソムリエ会での活動状況などを順次楽しく話ました。

峠の茶屋・首切り地蔵を過ぎ、石畳の道をひたすら降りる途中には春日石窟、朝日観音(実は如来)、寝仏(磨崖仏が落ちてきて横になったから?)、夕日観音(向かって左手にあるもの)などを見ながら春日大社の境内近くに到着。ここで一旦解散式。

今も往時の面影を残す 峠の茶屋
寝仏 わかりにくい (H.Yさん撮影)

一部は禰宜道を通って、飛火野へ。
ここで面白い話をききました。飛火野のデコボコした隆起は戦時中芋畑となっていた名残だそうです。
大きな隆起は古墳、春日大社の関係者のものではないかと考えられているそうです。

寝仏の横にあった 会津八一の歌 10月13日読売新聞に中田紀子氏がエッセイを書かれていました。(写真 注釈とも H.Yさん)

秋晴れの一日、話の合う仲間と共に歩く奈良はまた格別だったと思います。
周到な準備をしてくださったサークルの皆さん、本当にありがとうございました。
参加者一同、大満足の一日だったと確信しています。
今回参加できなかった会員の皆様、是非次回はご一緒しましょう。

<まりも記>
(カメラを持参していませんでしたので、写真はサークルリーダー、サブリーダーより提供いただきました。)