記紀万葉サークル7月例会「伊勢斎宮を訪ねて-日帰りバスツア-」感想

7月11日(土)参加者35名

昨年の岡山に続く第2回目のバスツァーは梅雨の晴れ間の一日となり暑さも心配されたが、見学をすませればエアコンがきいたバスに逃げ込み、たっぷり休息をとって次の見学地に向かうという快適なパターンで一日を過ごすことができた。
最初の見学地は森神社。対馬にあった亀卜の神太祝詞(ふとのりと)を大和でも祭った神社とのことで、見学の後で学習する斎王の選定が亀卜によったこと、社地を流れる菩提仙川の清流、田中さんのご説明による都祁からのルートとの関係等斎王帰京の禊の場であることは間違いなさそうである。

森神社境内社姫大神社にて

次は夏見廃寺。25年位前に一度来たきりだったので展示館を含め周辺の施設整備が進んでいることにまず驚く。改めて傾斜地に建てられた伽藍配置の特異さを認識する。夏見廃寺の成立の過程に関し富田さんの詳細なご説明を現地でお聞きする。本日現地2回目とのことだが、いつもながらの説得力に感心する。

夏見廃寺金堂跡にて

途中やや渋滞したがメインの目的地伊勢斎宮跡に到着。ご手配頂いた斎宮弁当を頂く。斎王の食事を復元したという新鮮な魚や野菜のおかず、黒米で炊いたご飯等おいしくいただいた。掛けてあった紙に書かれた「君やこし我やいきけむおもほえず 夢や現か寝てかさめてか」という艶めかしい歌が目に付いた。神に仕える斎王とは結びつかないなと思い後で調べて見ると、伊勢物語の「狩りの使い」という有名な章段にある第31代斎王恬子(やすこ)内親王が、「狩りの使い」=在原業平に贈った歌だそうことだった。斎王の長い歴史の中で展開された生身の女性達の人生を物語るエピソードの一つかと思う。
遺構や復元模型がある中心施設付近の見学をして、やや離れた斎王歴史博物館に移動。斎王制度の歴史、遺構、組織、生活振り、伊勢神宮との係り等がよくまとめられており、ほとんど白紙の頭にそれぞれの知識が新鮮だった。なんといっても斎宮が東西7区画、南北4区画に区画された広大な敷地と官僚組織を持つ官衙だったことに驚く。来る前は磐余周辺の宮跡のようなものだとイメージしていたので認識を大いに改めさせられた。
約20分のビデオを見たが、鈴鹿越えの時の牛車の牛の苦しそうな表情が際立っていた。撮影がさぞかし大変だったろうなと思っていたら、後の解説で当時も実際に牛車を人が担ぎ上げたりしたと聞いて納得する。またここは人家や畑等と共生した平城宮跡よりも広い史跡であるとのこと。地元の人々の遺跡に対する敬意が遺跡の保存と史跡指定を為しえたものと思う反面、土地利用や処分に様々な制約があるのかと思うと遺跡の保存と現代の住民の生活とのバランスを改めて考えさせられた。

斎宮歴史博物館前にて

垂水の頓宮跡に着いたときは既に夕闇迫る頃となっていた。この場所が古代も中世も現代も常に交通の要衝だったのだろうなと思いながら交通量の多い国道1号線を渡る。鬱蒼とした森の中の史跡を見学した後帰途に着く。車内で都祁水分神社の解説を田中さんからお聞きして近鉄奈良駅に着いた。

垂水斎王頓宮跡にて

現地で解説して頂いた森神社の宮司さん、斎王歴史博物館の学芸員の方、バスの車内で吉備との係りをご紹介頂いた小川さん、発表と当日の段取りの労をお取りいただいた富田さんと辰馬さん、それと全般の企画、ご手配を頂いた田中さん本当にありがとうございました。

(文)記紀万葉サークル 沖田拓司 (写真)同 田中昌弘