歴史探訪グループ例会「お葉つき銀杏が色づく音羽山観音寺を訪ねて」
11月19日(土)参加者10名
【日程】9:30桜井駅―バス―下居(おりい)停留所―急坂の参詣道―音羽山観音寺(お葉つき銀杏・本堂拝観・ご住職様の法話拝聴・お昼ご飯)―万葉展望台―音羽山山頂(有志)―音羽山観音寺(小休憩・コーヒーをいただく)―下山―崇峻天皇倉梯岡陵―下居神社―聖林寺停留所―バス―16:15桜井駅にて解散
雨の予報に空模様を気にしながらの集合となりました。桜井駅9時45分発の談山神社行きバスに乗り、下居(おりい)停留所で降車。寺川にかかる橋を渡り、音羽山観音寺までの約1.8kmの参詣道を登り始めます。お天気も何とか大丈夫そうです。
途中の少し広い所で恒例の加藤さんによるストレッチ体操を行い、体をほぐしました。
何度も折り返す急な長い坂道。
郵便配達の方は観音寺までこの道をバイクで行き来するというのですから驚きです。ところどころにある「ちょっといっぷく」「お寺でみんなが待ってるよ」などの可愛いイラスト付き看板にほっと一息つきながら登り続けます。
そして登り始めから50分、ついに観音寺に到着。秋色に染まった美しい境内に疲れも吹き飛ぶようでした。
石段を登ると本堂の階段に座ったご住職さん達3名の「人形」が我々を迎えてくれました。坂道で見た手作り看板やこちらの人形さん達、ユーモアと優しさにあふれていて皆さんも思わずにっこり。
境内でひときわ目を引く大きな「お葉つき銀杏」の木。鮮やかな黄色に色づきまさに今が見頃という感じでしたが、しばらくして落葉すれば今度は地面に黄色の絨毯が広がりまた違う美しさを見せてくれるのでしょう。
「お葉つき銀杏」はその名のとおりギンナンと葉が一体となっており、稀にしか見ることが出来ません。皆さんで探してみるとただお一人、廣岡さんが発見されました。お見事!
私も実物を目にするのは初めてのことで貴重な機会となりました。
続いて本堂を拝観。ご本尊は千手千眼十一面観音像で20年ほど前に平成の大修理を終えられ、金色に輝いていました。そしてご住職の法話を拝聴します。笑顔の素敵なこちらのご住職は女性の方で、廃寺同然になっていたこのお寺を修理し守り続けて来られました。当寺は寺伝によれば談山妙楽寺の鬼門除けのお寺として藤原鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始まりとされているそうです。(創建についてはその他にも諸説あり。)往時には「音羽百坊」と称されるほどの規模でしたが、貞観18年(876)の山津波(音羽流れ)によって堂宇は崩落してしまったそうです。現在は融通念仏宗のお寺として、また眼病平癒に霊験あらたかな観音様として山中に静かに佇むお寺です。
京都清水寺の貫主を務められ107歳の大往生を遂げた大西良慶和上はここ音羽山で幼少期を過ごされたのだそうです。94歳の時に里帰りされ、籠に乗ってここ観音寺まで登って来られた時の写真が本堂に掲げられていました。
拝観を終え靴を履いていたその時、本堂の壁がガタガタと大きな音を立てて揺れました。なんと地震!震源は和歌山だったようです。奈良のウォーキング活動の時に体に感じるほどの地震を経験したのは初めてのことで驚きました。
その後、お部屋を用意していただきゆっくりとお昼ご飯。温かいお味噌汁をいただきました。肌寒かったので大変有難く、持参していたお弁当も一層美味しく感じました。
昼食後はさらに高い所にある「万葉展望台」を目指します。斜面を登って行くと、後方には絶景が!近くには御破裂山もよく見えていました。この付近は「奈良県景観資産」にも登録されているそうです。展望台までたどり着くと金剛・葛城山をはじめ二上山や畝傍山が一望。快晴で見通しがきく時は大阪のビル群や明石海峡まで望めるそうですが、この日のように霞がかった眺望もそれはそれで良かったです。
予定ではこの絶景地までで下山することになっていましたが、ここまで来たら頂上はあと少し。有志で登ることになりました。20分ほどの急登の末、13時に無事登頂。眺望はありませんでしたが、登頂したという達成感は何にも代え難いものがありました。山頂からさらに経ケ塚山、熊ケ岳へと縦走するコースがあるそうです。
下りは違うルートを取り、30分ほどで観音寺へ戻って来ました。
お昼休みと同じお部屋で休憩。今度はホットコーヒーをいただきました。温かいおもてなしに感謝しきりです。14時過ぎ、大変お世話になった観音寺を辞して下山しました。
15時過ぎ、「崇峻天皇倉梯岡陵」に到着。木々も色づき、大変静かで落ち着いた雰囲気です。すぐ横に金福寺というお寺があり、倉梯柴垣宮のあった場所と考えられています。崇峻天皇の本当の陵は赤坂天王山古墳、藤ノ木古墳など諸説あるそうですが、『日本書紀』には崩御の当日に葬られたことが、『延喜諸陵式』には陵地、陵戸がないことが記されており、謎が多いです。
15時半、多武峰街道沿いにある「式内 下居神社」の鳥居前に到着。
ここから本殿までは約500メートルの距離がありました。下、浅古、倉橋の三地区の境に位置し、旧村社で式内社。ご祭神として彦八井耳命を祀るそうです。この地にゆかりのある崇峻天皇の皇子・蜂子皇子は出羽三山の開祖となり、そこで当社と同名の「下居社」を祀ったのだそうです。はるか遠い出羽三山と大和のつながりを感じることが出来るこちらの神社。境内には「いにしへの 皇子のみ跡 訪ぬれは 出羽三山に 下居大神」の句が刻まれた碑が立っていました。
下居神社をあとにし、聖林寺バス停に到着。さほど待たずに乗車することが出来、16時過ぎに桜井駅に到着しました。
ここで解散。結局一度も傘を使うことなく活動を終えることが出来ました。観音寺のご住職さんの「一番いい時に来られましたね!」のお言葉通り、深まる秋の一日を満喫。少しハードな活動でしたが参加者の皆さん、おつかれさまでした。
写真 小林誠一 文 藤原麻子