保存継承グループ  北葛城郡河合町(廣瀬神社の砂かけ祭り〈御田植祭〉)

保存継承グループは、2月11日、北葛城郡河合町にある廣瀬神社の砂かけ祭りの見学に行ってきました。廣瀬神社は、10代崇神天皇の時代の創祀と伝えられる古社で水田を守り、河川の氾濫を防ぐ水神として古くから信仰されています。祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で、伊勢外宮の豊受大御神の分身とも言われています。大和川の対岸にある、風神を祀る龍田大社とともに「日本書紀」にも記述されています。我々保存継承グループ9名が見学した砂かけ祭りは、正式名称は御田植祭であり、田作業のさまを演じて、その年の五穀豊穣と家内安全を祈る神事であります。大和の奇祭の一つとして有名で、河合町の無形文化財に指定されています。

前日までの雨が嘘のように晴れわたり、気温も上昇ポカポカ陽気の中、絶好のお祭り見学日和となりました。祭りは二部に分かれており、午前10時半からは【殿上の儀】、午後2時からは【庭上の儀】(砂かけ)が行われます。昨年は、コロナ禍の影響もあり、午後からの【庭上の儀】は中止されたようです。
10時過ぎに神社に着きましたが、まだ参拝者はチラホラで、昨年は出されなかった地元のボランティアの方のお店や屋台が、今年は出されていました。


10時半から、殿上の儀(拝殿内で行事)の開始です。
祝詞奏上の後、拝殿を田園に見立て、①苗代作り②籾撒き③苗取り④田植えなどの所作が行われます。以下内容につきましては、当日頂いたパンフレットの文章を引用します。


① 苗代作り:田人(たひと)が鋤・鍬・均し竹(ならしたけ)の順に苗作りを行います。
②籾撒き:田人が神前に供えてある籾種を「良き種まこ。福種まこ。」と唱えながら撒きます。


③苗代巡り:田人が田園を巡りながら「今年は神様のお陰で良き苗ができました。」と唱えます。


④苗取り:田人が東を向き「東で八百」、西を向き「西で八百。早乙女衆」と唱えると同時に、早乙女二名が苗に見立てた松苗を持ち、神前との間を足早に一往復します。
⑤田植え:牛面をつけた田人が、犂(からすき)・馬杷(まぐわ)の順に田作りを行った後、早乙女が「この苗は、我にはあらず廣瀬なる神のよさせし苗なり。」「みてぐらは、我がにはあらず天にますとようか姫の神のみてぐら。」と神楽歌を謡いながら田植えを行う所作をします。


田植え終了後、巫女が神楽奉奏して殿上の儀は終了します。所作の中で田人が言葉を発しますが、奈良弁?で「神様のお陰でえー苗ができたのう。」とか即興が行われ、参拝者に笑いを誘ったり、と民俗芸能的な要素が見られました。
午後の部は、かなりの観客が増えることが予想されるので、早めに昼食をすませて戻ってきましたが、3つある駐車場は満車。砂かけ祭りの人気の程が窺われます。少し時間がありましたので、近くで同時公開されていた定林寺の涅槃図も観てきました。ふらっと寄るつもるだけが、堂内に入ると、涅槃図だけでなく、平安時代に造られたという木造十一面観音像や阿弥陀如来像、不動明王座像等河合町の指定文化財がずらり。我が保存継承グループの今年の活動は、県内の市町村指定文化財の彫刻(仏像等)に注目し取材・調査を行う計画を立てていますので、その対象物が突然目の前に登場されたのにびっくり。写真もOK、真近でじっくりと拝ませていただきました。涅槃図は江戸時代末期の作。ユニークな絵柄で、ボランティアの方の説明もあり堪能させていただきました。

<特別公開されていた定林寺の涅槃図>


そのあと境内に戻ると、庭上の儀の一時間前というのに、拝殿前の広場(青竹を四本立て、注連縄を張って田園に見立てた)には、ポンチョやゴーグル、軍手にマスクといった砂かけ防止完全防備スタイルの多くの参拝者が集まっていました。
庭上の儀は、所作としては殿上の儀と同じ内容を行います。田人だけ、あるいは農作業者役の田人と農耕用の牛役が出て苗代作り・田作りの所作をした後、太鼓の合図で参拝者と雨粒に見立てた砂をかけあいます。

<一回目は注連縄内での田人ひとりでの砂かけ>
<回を増すごとに、鳥居前でも>
<牛役も被りを脱ぎ捨て登場し、砂かけに参加>
<やり返す子供の参拝者>


砂かけ行事は、かつては一回5分程度を計12回行っていたようですが、最近は田人や牛になる人の負担が大きいので(重労働です!)、計10回になり、今年はコロナの影響で6回に減らされ行われました。この砂かけが激しいほど雨に恵まれ、秋に豊かな実りが訪れるといわれています。太鼓の合図で砂かけ開始となり、一回目は田人だけで注連縄内で行われていたのが、回を増すごと田人も牛役(牛の被り物を脱ぎ捨て)も増え、場所は境内の至る所にまで広がり、参拝者も負けじとやり返す、プロレスの場外乱闘さながらの風景となりました。前からはもちろん、横から背後から、鋤に大量の砂を乗せ四方八方容赦なくかけまくる。カメラを持っていた筆者も当然のごとく被害にあい、身体全体に砂はかかり背中に多量の砂が入り込み、カメラのズームレンズの隙間にも砂が入りました。追いかけまわり、逃げ回る、はたまた取り囲んでやり返す、とヒートアップし汗が滲むくらいでした。子供だけでなく老若男女、歓声と絶叫が飛び交うも、どの参拝者も笑顔があふれていたのが印象に残りました。最後は、これまでの喧騒が嘘のような厳粛な雰囲気となり、拝殿前の広場も元通りに整地され、早乙女が登場し松苗を苗に見立た田植え、を行い終了です。この苗を持ち帰ると福が来るというので、一斉に取り合うのですが、幸いにも残り物がありゲットできました。

<早乙女が松苗を苗に見立てた田植えを行う>


祭りの終りには、例年ですと、参拝者に対し台の上から「松苗」と「田餅」を撒くようですが、今年は手渡しされていました。今年は800セット(松苗と田餅)が用意され全員に行き渡ったようです。(昨年は約400セット用意されたようです)。松苗は松葉で作られ、中に籾種が二・三粒入っており、藁で撒かれ松苗を田の水口に挿すと悪病・害虫・悪水などから田を守るとされています。家の神棚や玄関口に置いても、縁起がいいと氏子の方に教えていただきました。田餅は食べると無病息災で一年を過ごせるとされています。また、砂かけの砂も、拝殿前に立砂の形で置かれていましたので、指定の紙袋に入れ持ち帰り、氏子の方からのお教え通り玄関の四隅に撒いて家内安全を祈りました。

<今年は手渡しで配られた松苗と田餅>
<持ち帰った、早乙女が植えた松苗と砂かけの砂>


見学を終え、心地よい疲れと1300年続いているといわれる歴史の重みを感じながら、我々保存継承グループメンバーは、廣瀬神社を後にしました。
祭りも様々ありますが、こんな楽しくて、ちょっぴり怖くて(大量の砂は怖いです!)、しんどくて面白いお祭りはないと思います。皆さんも是非一度参加されてみては如何でしょうか?その折は、くれぐれも十分な砂対策をお忘れなく。


文・写真  保存継承グループ  灰藤 健一
写真協力  保存継承グループ 
 
参照: 奈良県の歴史散歩(山川出版)
   奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック(山と渓谷社)
   廣瀬神社公式HP