保存継承グループ 大和郡山市(源九郎稲荷神社 春季大祭と白狐渡御)

令和5(2023)年3月26日に、保存継承グループのメンバー4名が「祭礼見学」として大和郡山市の源九郎稲荷神社でお参りしました。「春季大祭」の見学はできましたが、当日は雨だったので、「お城まつり」の一つとして「時代行列」と共に行われる予定の「白狐渡御」は中止になりました。なお、中止となって見学できなかった「白狐渡御」については取材を行いましたので、取材結果をご報告します。

雨の朝、神社の拝殿の横では桜が咲いていました。これは歌舞伎役者の六代目中村勘九郎さんが平成24(2012)年に襲名披露記念で植えられたものです。ここは歌舞伎、文楽の「義経千本桜」に登場する「源九郎狐」ゆかりの神社ということでのご縁だそうです。

春季大祭は拝殿前にテントを張って、市長始め関係者がそこに座って雨を避けながら行われました。また「白狐渡御」の子ども達をサポートしている踊り手、謡い手、奏者、そして市立南小学校の校長先生が代表で参列していました。白狐の子どもたちに関しては、通常は参列はないそうです。

通常、春季大祭のあと「白狐行列」が神社からの出発で宮司も一緒に行列に参加するのですが、今年は中止ということで宮司は拝殿にいらっしゃいました。そこで勘九郎さんの桜の花の前で写真を撮らせて頂きました。

今年の「白狐渡御」は4年ぶりの開催を予定していたにも関わらず、残念ながら雨で中止になりました。子どもたちの姿を思い浮かべながら、関係者に取材させて頂き、また写真や資料も頂いたので、以下にご紹介します。

子どもたちによる「白狐渡御」は昭和53(1978)年に地元青年会議所メンバーの中川氏を中心として地域活性化のために始められたものです。2019年に行われたときには写真のように子どもたちが化粧をして面を被っての行列で、三味線を持った演者「白狐踊り保存会」も一緒に歩いていたそうです。このとき演者の「白狐ばやし」の曲に合わせて子どもたちは「白狐踊り」を踊りながら歩きます。

神社本庁によると「渡御」は神社にいらっしゃる神さまが氏子の手により氏子地域を巡幸、あるいは御旅所にお出かけされるものです。この神社にも以前は南小学校にお旅所がありましたが現在はなくなっていると宮司さんはおっしゃっていました。このため、「白狐渡御」は神社を出発して神社に戻る形になっていいます。「白狐渡御」は神さまの巡幸ではないですが、「白狐踊り」で子ども達が手に持つ「幣(みてぐら)」を振って地域を回ることで、祓い清めるという意味があるそうです。

また責任総代の中川氏によると、この「白狐渡御」を再開したのは、子どもたちに「夢」と「希望」、「明るさ」を与えて「思い出つくり」の手助けをしたいという思いとのことでした。

ところでこの「白狐渡御」は、実は約百年の伝統があります。昭和の初めの頃に始まったと言われています。当時はこの源九郎稲荷神社のそばに遊郭があり、そこがスポンサーとなって行事が行われたらしいです。そのときに「白狐ばやし」や「源九郎小唄」が作られたそうです。「白狐ばやし」と違って、「源九郎小唄」は「恋」という言葉も出ており、少し大人っぽい歌詞になっています。コロナ禍前には、春季大祭のあと神社で「源九郎小唄」を謡い、踊り、奉納していたとのことです。

遊郭がスポンサーになっての「白狐渡御」は、戦時中の中断を除いて昭和の初めから続けていたが、昭和33年の売春防止法の施行により遊郭が廃業になり、行事そのものが無くなってしまいました。その後昭和53年に青年会議所により、地域活性化のために「白狐渡御」の復活が行われました。

「白狐渡御」は約百年前に始まった行事で一度はなくなってしまいました。しかし地域の手により、地域活性化の手段としてだけでなく、子どもたちへの「思い出つくり」として復活した行事です。文化の保存・継承とは、その時代や環境に併せて色々形を変えて、次の担い手が過去の資産をうまく活用して、次へと引き継ぐもののようです。

以上、源九郎稲荷神社の皆さま(小嶋宮司、中川責任総代他の関係者の方々)、大和郡山市観光協会の澤田学芸員、色々お教え頂きありがとうございました。

文・写真  保存継承グループ  西野 稔

(過去の写真については源九郎稲荷神社ボランティアの羽根氏のご協力を得ました)